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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

米ハンマー投げ グウェン・ベリー


2020-07-14 015
 

7月12日の朝日新聞10面に大きく取り上げられていた。

初めて名前を知った、米国の黒人ハンマー投げ選手。


ベリーの名が世界に知られたのは、昨年8月のペルー。南北アメリカ大陸の選手が集まるパンアメリカン競技大会だった。74メートル62を記録して優勝。表彰台に上ると、国歌演奏中に顔を伏せて右拳を突き上げた。


1968年メキシコ五輪で米国代表の黒人選手2人が行ったポーズをまねた黒人差別反対の訴えだった。


しかし行為の代償は大きかった。家族の悪口、殺害予告がSNSで届いた。

米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)と国際オリンピック委員会(IOC)からは、同じことを繰り返せば次は「重罰」だと警告を受けた。

彼女を支援していたスポンサーは次々に離れた。




月日は10ヵ月ほど過ぎた。




米ミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行されて死亡した事件を受け「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ=BLM)の抗議行動が全世界に広がった。


ようやくスポーツ界にも変化が出てきたと感じる。国境や競技の垣根を越え、こうした行為を認める団体も増えてきた。USOPCもベリーに謝罪した。


一方、IOCは1月に政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じる五輪憲章第50条の具体的な指針を発表している。

「手を使うジェスチャー」など細部まで踏み込んだ禁止事項を設けた。6月に入って見直す姿勢を見せたものの、ベリーの目に動きは鈍く映る。

「第50条廃止」を望む声はアスリートの間で広がる。

「時代遅れ、人権侵害で表現の自由に反する。IOCは『アスリートファースト』をうたうが、自分たちの価値観ばかり優先する」

今回のうねりを一時の出来事には終わらせまいと誓う。「信念を貫き、闘い続ける」





国歌演奏中に顔を伏せて右拳を突き上げた・・・大変な勇気がいっただろう。生活もかかっていたから。

本人は父が17歳の時に生まれ、自身は14歳で出産した。「息子は私の人生の全て。しっかり育てたかったから、たくさん勉強して行動に責任を持つように心がけた」。

父や親族に支えられ、勉強と育児に励んだ。

差別を強く感じたのはハンマー投げを始めてから。伝統的に白人選手の活躍が目立つ種目。「常に陰口をたたかれ、失敗すれば喜ばれた。私の肌の色が黒い。それだけの理由。周回レースに例えるなら、白人から5周遅れでスタートさせられる。しかも私たちには石が投げられて邪魔される」

2014年、地元で黒人男性が白人警官(当時)に射殺される事件が起きた。亡くなった18歳は武器を持たず、両手を上げていたにもかかわらずだ。場所は実家の近く。「彼と同じ道を歩き、同じ店に通っていた。息子が同じ目に遭うかもしれない。声を上げなくてはダメだと思った」。帰郷し、デモに加わった。

昨年の大会で拳を上げて抗議したのは、変わらない現状を訴えるためだった。






拳を上げた抗議は一朝一夕でなしとげれたものではなく、長年の抗議活動の蓄積でできた「表現(最大の勇気)」だったと思う。



あのメキシコオリンピック(1968年)の黒人2選手の抗議は、ぼくの目にしっかりと、今でも焼き付いている。


別にそれが「いいことだ」とも「悪いことだ」とも、その時は全く思わず、そのことに対して、何も感じなかった。


しかし、それが米国内で大問題になったことは知らなかったし、同調した銀メダルのオーストラリア選手も自国で非難され、不遇のまま亡くなり、死後、名誉が回復された(映画にもなった)。


メキシコオリンピックからすでに52年の年月が流れているが、この問題は、ほとんど何も進展せず、今回の「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」まで持ち越されていたのか・・・・



グウェン・ベリーさんの勇気は賞賛に値する。この抗議運動が全世界に広まる10ヵ月も前に1人で考えて行動を起こしたのだから。

米国だから、去ったスポンサーは再度戻ってくるだろう。そして、新たなスポンサーも獲得して・・・



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今日のクイーン(再5)  84

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RITERA

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菊池恵楓園  森 光丸さん(4)



 
眼のまへに物の影とも見分かねばきびしく額を打ち傷けぬ




すこやけき日に逢ひたかりし垂乳根に病募りしときに逢ひけり




土屋文明先生御来所

感激の鎮れば思ふ先生に逢はず嘆きし
石川孝がこと




心いちづに吾が先生に会ひまつりその夜の雨に醒めてまた思ふ




おのもおのも訛り言葉の面白し注射待つ間の朝の控所




耐え難く座を離れきぬ
乞食かたゐして銭を儲けたる話の中に




燈の下に涙垂りつつ吾が病に嘆き疲れし父は酔ひゐき



森 光丸さんの略歴
明治41年6月25日、福岡県三井郡に生まれる。昭和元年19歳で九州療養所に入所。昭和6年
島田尺草と共に「水甕」入社。昭和7年「アララギ」に移る。土屋文明に師事。カトリック教徒。昭和13年1月5日肺結核で逝去。享年31。『檜の影』第二集(昭和4年)『檜の陰の聖父』(昭和10年)『九州療養所アララギ故人歌集』(昭和15年)『菴羅樹』(昭和26年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



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ナンキンの煮物


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無水鍋に半分に切ったミニトマトを入れ、醤油、蜂蜜、酒、みりんで味付けし、煮立ったら極弱火にして10分ほど煮て、ナンキンを入れ、20分煮て火を消し、余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。



オクラの薄切り

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カツオブシをふり、醤油で。


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最晩年の生きがいや楽しみ


この年齢になって、人生で、たいしたことは何もできなかったと思う。


20代の頃は茫洋な時間があると思ったが、今はもう、残された時間は少ない。


たとえば、ハンセン病文学の各療園を一巡して紹介するには2年半ほどの月日がかかる。


そうして考えたら、同じ人を紹介できるのは、後5回ほどしかない。


たとえば今日の森 光丸さんだったら、後5回ほどしか紹介できない。


次に紹介する2年半後まで、光丸さんの短歌を覚えておくのは難しい。


短歌は、1~2回、目に触れたくらいでは、何の刺激にもならず、役にも立たず、新聞等の歌壇や俳壇を読むのは、まったく時間の無駄としか思えない。


文学に触れるのは、もうハンセン病文学だけだと思っている。それでも、あと5回転ほどしか繰り返して触れる時間は残っていない。


つまり、今頃になって、時間はもうあまり残っていないのだと痛感する。


だからといって、ハンセン病文学にしぼって、毎日3時間ほどに増やすのは苦痛。


文学でも音楽でも、1日にせいぜい30分ほどに留めておくことが楽しく持続できるコツと思う。


現実問題として、他にもいろいろすることがあるし、まして現役世代だったら、仕事関連以外に時間を費やすことが出来るのは、1日に1時間ほどが限度だろう。


結局、何が言いたかったかというと、まだ膨大な時間が残されている若いあなたも、人生ではたいしたことはほとんどできないだろうから、文学なら特定の一分野にしぼって楽しんだ方がよいと思う。大風呂敷に広げても頭の中が混雑するだけ。


あの岡本太郎が言っている、「絶望的に賭けるのだ。変節してはならない」。でもこの言葉は凡人にはちょっと難しい。


絶望的に、何に賭けていいのかわからない


やりたいことが見つからない


ぼくは、ブログのネタに紐づけして考えた。


料理・・・これならネタに困らない。毎日食べるものだし、素材の野菜は何でもそろっている。ワンパターンと思うかもしれないが、毎日でも食べたいから作っている。


ハンセン病文学・・・これはもう運命的な出会いと思う。感謝!

理由は、ブログのネタに愛生園をドライブして風景をたまにブログに載せていたが、それが明石市の人権推進課の人の目にとまり、「2010人権の集い」のポスターに採用されたこと。

この時「愛生園がぼくを呼んでいる」と、強く意識した。57歳の時だったが、その時はヤギもいて時間がとれず、3年ほど懐において置き、還暦が過ぎてから初めて「入所者の講演」を聞きに行った。

これがきっかけで、石田雅男さんから2冊の本「いつの日にか帰らん(加賀田一さん)」と「闇を光に(近藤紘一さん)」を頂き、ハンセン病文学に初めて触れることになった。

それまで、ハンセン病に「文学」がある(残されている)ことを知らなかった・・・



護憲やクイーンも、ふとした「感動」がきっかけだった。そして自分が楽しむためにブログをうまく活用しようと思った。そうすれば続く・・・


テーマは何でもいいと思う。ちょっと関心があるものなら。関心がなくても無理しても3ヵ月は続けてみる。それで疲れるようなら「縁がなかった」とすっぱり止める。


何でも一日に1時間半以上も続けることは難しいので、せいぜい30分ほどに留めると、1つだけではなく2つ、3つとできる。


負担になったら、躊躇なく止めるつもりだが、今はまだ負担になっていない。


たいしたことは何もできなかったが、今のブログのテーマは「自分の楽しみ」になっている。


何でも、1日に30分ほどしか時間はとれない(それ以上費やしてもあまり効果的でない)から、できれば若いうちから手を付けた方がいいと思うが、


そんな時間が取れるのは、多分還暦以降・・・


でも平均寿命まで後20年もあるから、20年続ければ、最晩年の生きがいや楽しみになるだろう



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今日のクイーン(再5)  83

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RITERA

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菊池恵楓園  森 光丸さん(3)




療院を逃亡のがるる人は日を置かず落魄おちぶれはてて帰り来るなり




秋深く庭木に来鳴く法師蝉鳴きをはる間のこゑの寂しさ




育ちゆく子等を憚りて姉上のたより絶えたる心肯ふ




肉むらに日毎刺さるる注射の跡硬ばりたるがいささか痒き




世のつねにあらぬ病を持つからにはらからにさへ頼みすくなき
(はらからとは兄弟姉妹)




あはただしき行き来の人の音絶えて重病室に果つる友あり




世に起たむつひの望はむなしくてわれは盆栽を日日に培ふ




食物のほかに記憶のなきごとき今日のひと日もはかなくて経ぬ




川音をききつつ橋をひとつ越えて学校に行きしこと忘れ得ず




体臭のくさくなりつつ病み居れば五官といふも衰へをらむ





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ズッキーニのお好み焼き


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千切りしたズッキーニをボールに入れ、大さじ2の薄力粉と溶き卵を1個入れて混ぜる。

熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、具材を入れ、極弱火で10分焼いて裏返し、とろけるチーズ1枚を置き、青シソの粗みじん切りをふり、ケチャップとマヨネーズをかけ、10分焼いて出来上がり。



ソーメン


 
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薬味は青シソ。メンツユで。



キュウリの酢の物


 
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キュウリはスライサーで薄切りしてボールに入れ、塩をふってもみ、時々混ぜながら30分以上置いて、キュウリがしんなりしたらさっと水洗いして水気をしぼる。

ボールに1分湯通しして冷水にとった小魚を入れ、大さじ2の酢、各大さじ1の醤油とレモン果汁、砂糖少々とハチミツを入れて混ぜ、キュウリを入れ、混ぜて出来上がり。




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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