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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

国民は、そのレベルにふさわしい首相しか持てない


兵庫県宝塚市の正規職員採用試験に、この国の深い闇を感じた。

全国から1816人が応募して合格者は4人・・・。



フランスでは黄色いベスト運動が、香港でも学生が立ちあがっているが、日本は物静かである。



英語の大学入試改革が問題になっているが、どこの大学へ入ってもいっしょ。入ってから勉強する学生など少数だから。

それよりも出る時に「卒業試験」として全国の大学の共通試験として課した方がよい。

卒業する時の共通試験があったら、どこの大学へ入っても、あまり変わらないし、大学で何をしたかが問われる。




3台風の農水被害、3630億円

この秋に東日本を襲った台風15号や19号、21号の接近に伴う大雨による農林水産関係の被害額が、18日までの農林水産省の集計で約3630億円となり、昨年の西日本豪雨(3409億円)を超えた。都道府県から同省への報告は依然積み上がっており、さらに膨らむ見通しだ。農水省によると、自然災害に伴う農林水産関係の被害は記録が残る1964年以降では、2011年の東日本大震災(2兆3840億円)が最多。

自然災害は第一次産業が最も大きな影響を受ける。

農業者は、ぼくもそうだが「塀の中の懲りない面々」ではいけない。いい加減に懲りないと!

台風を計算に入れて、作付品目や作付量、作付の日時、作付の仕方を考える。




「桜を見る会」はネットでは騒がれているが、新聞では、それほどでもない。

「桜を見る会」も乗り越えて政権が続くようなら・・・愕然としてしまう。



「澤藤統一郎の憲法日記」にも書かれていたが、

「国民は、そのレベルにふさわしい政治しか持てない」とも「政治は国民を映す鏡」ともいう。「国民は、そのレベルにふさわしい首相しか持てない」とも「首相の品性は国民を映す鏡」と言い直してもよいだろう。安倍政治の継続は、結局国民の「この程度のレベル」を映し出しているものと言うしかない。残念だが、そのとおりで仕方がない。



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今日のクイーン(再3)  32

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ちきゅう座

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邑久光明園 藤本トシさん 12の随筆 (5)




 今年もコスモスの季節になった。空はどんなに美しいであろう。深々と澄んだ蒼さを思い浮かべていると、そのなかで・・・あの可憐な花が揺らぐ。コスモスは洒落た洋館の庭にあってもいい。炊煙のなびく藁屋の背戸でも調和する。山村の駅のほとりに、ひっそりと寄りそって咲いていた一叢の薄くれないの花を私は今でも忘れない。

 コスモス。私はこの花がもとから好きではあったが、とりわけ二、三年まえから心をひかれるようになってきた。これには理由がある。
 私の眼が明らかだった時のことである。ある夜四、五人の友と雑談を交していると、そのうちに玉枝というまだ新患の娘が自分の過去を話し始めた。
 彼女は中流の家庭に育ったらしい。しかし病気になると物置が少し改造されて、そこが彼女の住居になった。そのうえ戸外に出ることを一切禁じられてしまったのである。若いみそらで、明けても暮れてもがらくたと同居である。窓さえめったに開けられない薄暗い小屋での生活は、気が狂うほど侘しかったという。
 この辛さに耐えかねたある日、彼女は世間がまだ寝しずまっている夜明け前に、窓からそっと抜け出した。むろんはだしである。さいわい町はずれだったので、草原でも土手でも歩くところは広々としていたらしい。そこで思いきり外気を吸って、東天がやや白みそめると、幽霊のように慌てて墓所へ帰った。
 墓所、彼女は自分の住居をそういうのである。この秘密は誰にも漏れなかった。味をしめた彼女は、それから毎日お天気でさえあればこの冒険をやったのである。
「ほんまに、あのときの星空の美しかったこと。残り月の清らかだったこと。野川の音や穂草のそよぎまでが全く絵のようでな、この世のものとは思われんほどやった」。彼女はこう術懐した。

 ある朝、例のごとく暁光に追われて急いで野路を帰っていく途中、土橋の上まで来ると、一茎のコスモスがしっとりと露にぬれて落ちていた。誰が落としたのであろう・・・などと考えているひまはない。彼女はそれを奪うように拾うと駈けだした。
 がらくたの中から小瓶を探し出すと、彼女は洗面の水を節約してそこへ入れた。それにコスモスを挿したのである。墓所の中のたった一つの彩り。彼女はそれを、とみこうみして飽くことを知らなかった。が、油断はできないのである。家人に見られたら外出したことがばれてしまう。それこそ一大事である。彼女は恟々として、かすかな跫音でもすばやくそれを押入れに隠した。
 はかない楽しみである。それも長く続く筈はないのである。数日後、花はとうとう彼女の膝で散ってしまった。
「家の人に内証やから、その花屑を捨てるのに困ったやろう」
 誰かが聞いた。彼女の答はこうであった。
「いいや、花はなんにも捨てやせん」
「じゃーどうしたんや・・・」
「わて・・・何もかも食べてしもうたもん」
「まあー」
 友だちはどっと笑った。実は私も奇異に感じたのである。発病後のくらしが、私のほうがやや幸福だったのか、それとも、更に深い苦悩の日々であったのか、ともかく少しずれがあってその気持が呑み込めなかったのである。
 ・・・・・・
 その後私には失明という打撃があった。手足の感覚がないので、口で物を確かめるより仕方がなくなったのである。初めのうちは唇が大方その役を引受けてくれていたのだが、しだいにおぼつかなくなってきて、近年では舌がそれに代わるようになった。来る日も来る日も、生活する為の物に、舌はまず体当たりして、それを私に教えてくれるのである。あるとき私はマーガレットの花を貰った。へやの飾りとしてのものには、遠慮なのであまり触れないが、自分のものとなると、専用の花筒に入れて心おどらす私なのである。このときも、一日にいくど探りにいったことか。二、三日たっての朝、私は顔を洗うとすぐ、マーガレットにキスの挨拶にでかけた。終えてから静かに筒を置こうとすると、舌先に花びらが残っていた。散る時が来たのであろう。私はそう思いながら、しごく自然にその花びらを食べてしまった。そしてやっと思い当たったのである。あのときの、若い友の言葉が━━。
 病苦と、孤独に苛まれていた乙女の心は、拾った瞬間から、コスモスと一体になってしまったのである。芯を食べようと花びらを食べようと、それはあたりまえだったのだ。一体なのを具象化しただけなのだからである。私は晴ればれとした。
 私の肩をそって撫でて、朝闌の風が過ぎた。甘藷が焼けているのであろう。隣室から秋の匂いがもれてくる。

1963年(昭和38年)
 


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野菜とサケの蒸し煮


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無水鍋の下敷きにタマネギを入れ、乱切りしたダイコンとニンジンを入れ、カブ、ナス、ピーマンを入れ、シイタケを置き、15秒湯通ししたサケを置き、生姜1片をすりおろし、みりんと酒を入れ、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ブロッコリー


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マヨネーズで。


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同じものを、繰り返し食べる

 
味噌汁は毎日食べても、あまり飽きない。


それなら他のおかずも一緒だろう。


今、作る頻度が多いのは、ダイコンおろし、ニンジンおろし、シュンギクの卵とじ等だが、これらも飽きない。


毎日、とっかえひっかえした料理を作るのは、誰でも苦痛になる。


新鮮な、旬の野菜は、毎日食べても飽きない。


美味しいと思わないのは、そういうものを食べていないから。


日本人の8割以上の人が口にできていないと思う。


旬の野菜であること

新鮮であること

安全であること

「栄養素」など、上記に比べたらウエートは小さい。


同じものを繰り返し食べれないのは、本物の野菜を食べたことがないから・・・。


なお、毎日は飽きるかもしれないが、3日に1回くらいだったら、その繰り返しになっても飽きがこない。


ただ、そういう野菜はあまり市販されていないので、自分で作ろうとするしかない。


「作れない」と大多数の人が思うなら、

環境も

食糧問題も

食の安全性も

地球温暖化も

昆虫や鳥の生態系も

風景も

とどまることのない劣化しかないだろう




誰かがしてくれるだろう・・・と

他の誰かも同じように考える・・・

いきつくところまでいって

落ちていくところまで落ちて

そうなってはじめて、目がむけられるのか



日々のきびしい現実があって、そんなことにいちいち構っておれない。

食べものなんかに!




人によっては、ぼくの料理はまずいと思えるかもしれません。


でも、自分には、とてもおいしい。


外食は味が濃いし、高くつくし、いちいち目的地まで出かける必要があるし、そのために時間もかかってしまう。




もう少し、料理のレシピ数を多くしたいが、そのレシピを作るために、市販の何かを買う必要があるなら、そのレシピは何回もは作れない。


買うのは、調味料類、肉や魚くらいにとどめておきたい。



一昔前、定年帰農という言葉がはやったが、世の中がせちがらくなって、

そういう風潮も今はあまり感じない。



毎日アップしているブログで、気付いてくれるだろうか


料理とは2~3日周期で「同じものを繰り返し食べることだと」


それが食べたくないのは


旬の野菜でないから


鮮度がよくないから


どこで


誰が


どのようにして作ったか


顔が見えないから




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今日のクイーン(再3)  31

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郷原信郎が斬る

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邑久光明園 藤本トシさん 12の随筆 (4)

 
アカシヤの土堤


 私はその日も土堤の小草に腰をおろして、満々と水をたたえた、ま下の堀をみつめていました。生家への根強い愛着が、なんとかしてここを出ようと私をあせらせていたのです。この園の前身外島保養院へ入院後まのない頃のことでした。ところで脱けでるには寮を囲むこの堀を越えてゆかねばなりません。私の当惑は泳げぬことにあったのです。どうして渡ろう・・・。とまたもや同じ思いを繰返していた時、
 「ねーさん、なにしとる」といかにも鈍重な声が私の背にのしかかってきました。驚いてふりむく眼に子供のように小さい老人が笑いを浮かべているのです。私は心を見すかされたような気がして、黙ったままそこを離れてしまいました。その日初めて土堤の果てまでいったのです。鉄条網のかたわらにアカシヤの花が咲いていました。殆ど雑草さえない堤ですのに、これはまたおもいもかけぬ喜びでした。それからというものは私が考えをめぐらす場所は、言うまでもなくこの木のもとに移ったのです。そしていつかの妙な老人、いいえ病気のためにそうみえたのでまだそれほどの年ではなかった三ちゃんとも、いつのまにか仲良しになっていました。彼も淋しい新患だったのです。知能が常人より低いこのひとは、私の行動に疑惑の目を向けないいたって気安い友でした。並んで彼のちぐはぐな話を聞いている私の膝に、彼の肩に、柔らかいアカシヤの葉がゆれて、風のまにまに白い花がほろほろと散ってきました。よそめには平穏そのものに見えたでしょう。
 「あの・・・お京ねえも土堤へよく来るなあ」
 ある日三ちゃんがこう言いながら十間ほど先にいる人を指さしました。私もそれに気付いていたのです。瞬間、吉也(弥)に結んだ水玉の帯がかしいで白い顔がちらっと向きました。三ちゃんの遠慮のない大声が聞こえたのかもしれません。どぎまぎして会釈する私に張りのある声が「こんにちわ」と答えました。
 その翌々日、私は憑かれたもののように夜の堤を歩いていました。昼、田舟がつないであるのを見たのです。帰りたい一途、私はあたりに気を配りながら堀へと下りてゆきました。やがてへたへたと坐りこんだ私、探しても探しても舟はありませんでした。立ちあがる気力もない肩先を雨を孕んだ生あたたかい風がさあっと吹いてゆきました。その時ふと人の気配を感じたのです。息をこらす私の前方へ誰かが下りて来たのです。ぽちゃん・・・水の音が夜気に沁みました。続いてまた・・・。その人は少しずつ間をおいて何かを掘へ投げこんでいるのです。
 雨が降り出してきました。そのなかを不審の目をみはりつつ、すばやく歩いている私。前の人が戻りはじめたのです、走るように━━。遠い街灯の光に辛うじて認め得た姿、それはお京さんだったのです。
 四、五日後、私は夾竹桃が影をうつす池のほとりでお京さんと話していました。
 「あなたはこの頃ちっとも土堤へ来ないのね」
 「もうその必要がないのや」とお京さんが答えました。
 「どうして・・・」
 「わて・・・実は逃走しようと思うてな、その場所を探していたのや。母が急病と聞いた日から・・・。けどその心配は解消してしもうた。あぶない橋渡らんでほんまによかったわ」。いかにも明るい彼女の微笑でした。よい折、私はおもいきって先夜のことを聞いてみました。
 「えっ、あの時見てたのあなたやったの・・・なら驚くのやなかった。でもあんな時分、あすこにいやはったとすると・・・あんたもやっぱりお仲間やな。つねからどうも臭いと思うた」。大笑いするお京さんにつられて私の口も心も軽くなってきました。
 「水に何を捨てたの、幾度も」
 「捨てたのやない、測量や」
 「測量・・・」
 「経験者のおつたさんに一番浅いところ教えられたけど、どのくらいかわからへんよって計ったのや」
 「まあ、丸橋忠弥ね。それで石を投げただけでわかった」
 「あほらしい。伊豆守が声も出せずに慄えていた堀端やないか。そんな気のきいた丸橋かいな。瓦のかけらを炭俵の縄で結わえて、それをほうっては濡れ具合をみてたのや」。こうして次の日、密かに出るしたくをしていた時思いがけぬ面会。病後のやつれが残る母親だったのだそうです。私はその夜眠れませんでした。話の末に、
 「脱出するなんて、わてもあんたも真剣に家を愛しておらんのや」と言われたお京さんの言葉が、胸に刺さってうずくのです。覚めかけた内奥の心が嘆きに徹しよう・・・とおずおず囁きはじめるのです。海に向った庭隅で地虫がしきりに鳴いていました。
 幾日かの後、久しぶりに行ってみた土堤。私は出ることを断念していました。にもかかわらずぼらが跳ねて涼しい水輪を描いた時、いつしかそこへ下りはじめていました。「一番浅い所」のあたりだったからです。しみじみと眺めているうち、少しばかりの蘆の根にからんでいる縄の端を見つけました。私は水に手を入れて引き上げてみました。捨ててきたと言ったお京さんの測量機だったのです。縄のところどころを布で結んで目盛りがしてありました。
 「ねーさん、それなんや」。計ってみたい衝動にかられて、さっと瓦を水中に投げ入れた刹那でした。この声を聞いたのです。びっくりした手から縄の端が飛んで堀へ沈んでいきました。
 「それなんや」。再び土堤からの声、三ちゃんなのでした。澄んだ空にほのぼのと夕月が浮かんでいました。安堵の息を深く吐く頭上に、伊豆守がみたびの声を張りました。
 「アカシヤの花、みんな散ってしもうたぞ」


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シュンギクの卵とじ


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鍋にメンツユを入れ、水で3倍に薄め、砂糖を少し入れ、煮立ったらざく切りしたシュンギクを入れ、溶き卵1個を入れ、弱火で4分ほど煮て出来上がり。



味噌汁


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乱切りしたサツマイモを鍋に入れ、シイタケを入れ、水と削り節を入れ、煮立ったら、千切りしたダイコンとニンジン、タマネギ、ナス、ピーマン、インゲンを入れ、再度煮立ったら極弱火にして15分煮て出来上がり。



ダイコンおろしとニンジンおろし


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ダイコンおろしの苦みをニンジンおろしがやわらげる。

ダイコンおろしはかなり目減りするが、ニンジンおろしの目減りは少ない。つまりダイコンは水分が多い。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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