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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

白い社会



折々のことば 鷲田清一 7月3日


事情を明らかにすることは百の論説に匹敵するはずである。

長谷川伸



股旅物で知られる大衆小説家は、綿密な考証にもとづく歴史小説も書いた。

中でも『相楽総三とその同志』は資料収集に13年を費やした。

倒幕にあたり重要な局面を担うも「官軍」の奸計かんけいで逆賊の汚名を着せられ惨殺された「赤報隊」の志士の行動をたどる。

「維新」を、西日本の、それも公卿くぎょうや藩士の功績とする語りに「無言の体当りをくらわせ」たかったと、「自序」に書く。




全く知らない人だったのでグーグルで検索したら「
講談社BOOK倶楽部」に詳しく書いてあった。

1冊の本を書くのに13年も費やされた。





健康も若さも失いつつあるぼくは、もうぶ厚い本(薄い本でも)を読む気力がなくなってきた。


でも短歌や詩、短い随筆などハンセン病文学は、目が見えなかったり、身体が不自由だったり、手指が欠損していたりという、健康に不安を抱えながらの作品だから、長文が少ない。それは今の自分に合っている。


長い時間はとれないが、更新の時に何回か繰り返し読む。たった10分ほどのことでも、一人一人の高貴な品格に触れていると、自分もその高みに引き上げられたような気分になる。



振り返ってみれば、他の人より多少多くの本を読んだような気がするが、記憶に残っている本がほとんどない。


繰り返し読んでみたい本にも出合えなかった。読んだときに自分のレベルがそこに至っていなかったのだろう。


それでも今はハンセン病文学で、おびただしい一人一人の品格に触れることができている。1日のたった10分ほどの時間であるが、自分を高みに引き上げてくれる。





コロナ渦で、「夜の街の灯」が押しつぶされようとしている。自分にはあまり縁のない世界だったが、「なくしてはならない灯」であることはわかる。


それは逃げ場であり、心の捨て場だと思うし、白い社会から疎外された人が生活をする場所だから。


学校や職場という社会にいたたまれなくなった人の居場所が、安倍政権になって経済的にもますます追い詰められてきたが、コロナは、その居場所を徹底的に破壊しようとしている。


白い社会だけでは、人間社会は持ちこたえれない。





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ハンセン病療園では、結婚=断種

 

血統の終止符



呪われた宿命を計算する

壁時計のアラビヤ数字

古い日の性欲を眠らす強烈なモルヒネ

原子林のように暗い脳裡に

血統の
終止符ピリオドを点じた

不透明な諦らめの
歔欷すすりなく肉体の

窓からこぼれ

やがて

アダムとイヴの幻に似た父母の裸像と

医師の掌に躍るニヒルなメスの本能と

看護婦の瞳の中に氷結した白い羞恥が

生殖器を軸にしてゆるやかに回転する

進化論のロジックに宿るかの憂鬱のように

青白い手術灯の
光線ひかりにぬれて

私は静かに

瞼を閉じた

麗わしい人類の進化と

きよめられた地上の幸福しあわせ

そして

孤独の私に残された

季節のない生涯を祈るために・・・



療養所において結婚するためにはワゼクトミー(断種手術)が義務付けられた。その手術台の上の千島染太郎さん・・・

千島染太郎さん(邑久光明園)には、次のような詩もある。




春水 


うすみどりの 野の涯より 

うすみどりの 野の涯まで 

うらうらと つらつらと 

流れ来て 流れ去り 

流れ来て 流れ去る 

ももいろの 

・・・明り 


ささやくように 羞うように 

かんばせに照り あしもとに輝き 

ちらちらと ゆらゆらと 

流れ来て 流れ去り 

流れ来て 流れ去る 

ももいろの 

・・・ひかり 


水のせおとは 貴女の声に似て 

水のきららは 貴女の微笑みに似て 

流れ来て 流れ去り 

流れ来て 流れ去る 

ももいろの 

・・・かげり 


見えながら 消えていく 

消えながら 見えている 

貴女の面影 

貴女の笑窪 


いくつもいくつも 

うたかた生れて 

流れ来て 流れ去り 

流れ来て 流れ去る 

ももいろの 

・・・こころ 


ほのぼのと水の匂いが 

さらさらと水のいのちが 

野の花を濡らし 私を濡らし 


流れても流れても・・・ 

流れは果てぬ 

春の野川の 


・・・一すじの夢 











老鷲の賦


ここ廃園の 

白痴にも似た
静謐しじまに 

・・・赤錆びし檻の織りなす 

虚しき影に絡まり 

老鷲一羽 

その傲岸な嘴に 

霜を咥えて眠る 

おおいなる翼に包みきれぬ 

野生の哀愁が 

茶褐色に流れ 

磨り減れる強慾な蹴爪に 

孤独の
宿命さだめを握りしめて眠る 

万里の山獄を睥睨し 

飛風天空を捲く 

昔日の夢・・・ 

周囲の石壁に凍てて 

ニヒリズムな 

白樺色の光リ漂う 

眠りつつ衰えゆく精気 

身動きつつ滅びゆく生命いのち 

朽ちる日の
木乃伊ミイラの祈りを遥か 

枯園の
なげきを・・・ 

おもむろに眠る 

貪婪と 

蹂躙と 

強奪と 

驕暴と 

専横と征服 

とを失える 

荒廃の王座に 

片々と木の葉が散りかかる 

鎖されし生涯を 

崩れし餌箱の散乱を 

腐臭に満ちた 

日輪が巡り・・・ 

ここ廃園の 

忘却にも似た
静謐しじま
に・・・ 

翼老いたる 

鷲一羽 

その傷痕の瞼に 

永遠の憂愁を秘めて・・・ 

・・・眠る
 














加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P107~P110抜粋

結婚=断種、入籍-個室


 家内も齢をとり、86歳になりました。声だけは元気ですが、体のほうは少し弱って来ています。愛生園で会って結婚し、それからはずっといっしょに住んできました。子供はできませんでしたが、68年もいっしょに生活できたのは幸せなことです。

 結婚した当時、世の中は国家総動員法が布かれ戦時体制でした。徴兵も軍需動員も私たちにはなかったのですが、いつ病気が再発するかわからず、園のなかで過ごすことを決意しました。それが家内との結婚につながったのです。

 いまだに解明されない謎ですが、ハンセン病患者は男性が多く女性のおよそ2倍です。不治とされていたため、いったん入所したらここでお互いに助け合い励まし合って一生を過ごさせるというのが療養所の方針でした。園内で安らかな生活を送って貰うためという理由で、外での既婚者にも所内結婚を認めていました。ただし未入籍結婚の場合は男の通い婚であることは先述しましたが、その場合も断種を受けなければ認められませんでした。女性の閉経した人まで行われていました。

 妊娠は女性に負担がかかります。女性患者が妊娠して6ヶ月過ぎたり、その前でも中絶をすると、必ず病気が悪くなる。そういう話を聞いていましたし、現実にそういう姿を多く見ていましたので、私は婚前交渉はしないという決意を堅く守りました。そして私も悩み抜いた結果、断種手術を受けました。そのときは本当に情けなく、もう人間失格というか、男子ではなくなったような死んだような気持ちになったものでした。

 入籍すると六畳二部屋の「十坪住宅」へ入ることになりました。玄関、トイレ、洗面所、台所は共同です。その六畳に二組ですから、十坪住宅一軒に四組の夫婦です。ここでは順番を待っていて、四畳半一組の「個室」に行く希望をもつことができました。当時、千円出すと一棟分の権利が貰えました。五百円出すと四畳半二部屋のうちの一室の権利が買えました。

 私と同時期に結婚した四組のうち、私たち以外の三組は金をもっている人で、初めから四畳半の私室でした。私もお金があれば四畳半に入りたかったのですが、ありませんでしたので六畳での二組が新婚生活の始まりでした。こればかりは残念でしたが、家内にも「我慢してくれ」と頼み、とうとう六畳で三年間過ごしました。

 六畳に二組の生活というのは、布団を敷くとそれだけでいっぱいです。今の人たちには想像もつかないでしょう。後に真ん中に衝立ができましたが、その頃はありませんでした。ですから今日は私たち夫婦が友達のところに行って夜は空けておくと、明くる日の夜はもう片方がいなくなるという形で、互いに気遣って生活をしていました。

 しかし内縁関係の人たちはもっとひどい状態でした。十二畳半に女性が六人、そこへ通い婚で泊まりにだけ行くのですから。それから考えると、結婚して順番がくれば、とにかく個室がもてたわけです。ただしその順番とは、夫婦者の一人が亡くなって独り者になると回ってくるわけですから、考えればひどいものでした。


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民族浄化の歌


加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P49~P53一部抜粋


私が愛生園に入った頃は、露骨に「非国民」「国の厄介者」という扱いでした。戦時中でしたが、私たちは兵士にも軍事徴用工にもなれず、役立たずの「穀つぶし」だの「ただ飯食い」などと蔑まれました。目の見えない人は頭を振っているだけで何もできないからといって、職員からは「座敷ブタ」と言われました。他園のことですが、「お前たちはクソ製造機だ」と、人を人とも思わぬ侮辱があって問題にもなりました。本当にあったことです。


私たちは小学校へ入るとともに「万那無比の聖なる日本」と教えられました。だからハンセン病は日本にあってはならない国辱的疾患でした。厄介者であり、「民族浄化」の対象だったのです。


長島愛生園には「開拓の歌」というのがありました。その作詞者は愛生園の医務課長(現在の副院長に相当)で、後に鹿児島の星塚敬愛園の園長になった林文雄医師です。そこには次のようにあります。


世の隅に悩む はらから迎えて
愛のわが村を うち築かん
祖国を浄むる 一大使命に
生きゆく身の幸 いざうたわん


この歌を毎月の20日に催された開園記念日に患者、職員の全員が集合して歌っていました。「祖国を浄むる一大使命に生きゆく身の幸」とは「隔離の中で死んでゆくことによって消滅することが祖国へ尽くす道であり、これに励むことを幸せとせよ」の意です。ここには治療(による社会復帰)の精神はなく、犠牲への精神洗脳があるばかりでしょう。



また、青森県の北部保養院(現・松丘保養園)の園歌には次のような一節があります。


身は傷つきて いたむとも
心は清く 甦り
民族浄化 目指しつつ
進む吾等の 保養院


この作詞者は当時、北部保養院の医師で、後に内務省衛生局予防課長となった高野六郎氏です。「民族浄化目指しつつ進む吾等の保養院」と、その浄化対象者である患者に歌わせていました。私たちはときに自嘲的になることがあっても、こうした歌詞にとくに疑問をもつこともなく歌っていました。






1996年まで行われていた旧優生保護法による強制不妊手術。

1996年は「らい予防法」が廃止された年でもある。


2001年の「らい予防法」違憲判決では、「らい予防法」の誤りは、1960年には明確になっていたと認定しましたが、強制隔離が間違いであることは1956年のローマ会議がはっきりと宣言していました。

ローマ会議というのは正式には「らい患者の救済ならびに社会復帰に関する国際会議」といいます。


1958年の国際らい会議は日本が隔離政策を改めるよう促すために東京で開催されました。


1960年にはWHO(世界保健機関)が日本に隔離政策を改めるよう勧告しています。


「らい予防法」が廃止されたのはそれから40年後です。





「らい予防法」の施策の間違い・・・それはなぜなのかといえば、自分の地位名誉の保全のためです。先輩のやってきたことを間違っていたからと、それを翻そうとしたら頭を叩かれます。人事には先輩が関わっていますからエリートコースを外される。

役人の部署はどんどん代わり、同じ部署にいるのは二年間です。その自分の在任中に患者さんの頭を撫でて、飴を舐めさせて大過なく過ごしていたい。無事であれば、とにかく出世してゆきます。天下りもできます。そういうことが日本の過ちをそのまま続けさせてきた元にあるということです。




なお前述のローマ会議には日本の代表として林芳信(多摩全生園)、野島泰治(大島青松園)、藤楓協会理事(浜野規矩雄)の三先生が参加していることです。


この三先生はハンセン病研究治療の日本における権威というだけでなく、医療行政にも大きな力を持っている専門家です。その先生方が外で国際会議に加わり、国内においても三人三様ですが強制隔離に批判的でありながら、しかもなお「らい予防法」が存続し続けたのは、どうしてでしょうか。


専門医師の集まりである「らい学会」、療養所の園長会は、組織としてローマ会議の内容を国民に知らせ啓発しようとはしませんでした。たいへん良心的な三先生の批判と実践も個人的行為でしかなかったのです。


入所者の私がローマ決議を知ったのはローマ会議の三年後でした。




1953(昭和28)年、「らい予防法」が改めて制定されました。この法は旧「癩予防法」が基本とする強制収容による終生隔離政策を継承していたため、すでに全国組織を作っていたハンセン病患者は、初めて国民の前に公然と姿を見せて反対運動を繰り広げました。
 


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プラスチック有料 バイオマス無料は、なんか変?



レジ袋が問題なら、レジ袋をすべて生分解性(植物由来の原料)に切り替えて、1枚10円にする。

10円になったら高いので、マイバッグを忘れずに持参するようになる。




プラスチック製レジ袋は有料で

バイオマスプラスチックは無料というのは、

何か、よくわからない。逆のような気がして、何回読んでも頭に入らない。




プラスチック製レジ袋は作らないようにして、

全てをバイオマスプラスチック製にして、作る費用が高くなった部分は消費者に負担してもらう(それがいやならマイバッグを持参してもらう)。


この方が筋道として道理にかなっていると思う。





農業現場から出るプラスチック製廃棄物も大量である。


4年ほど前から、 プラスチック製マルチを生分解性マルチに切り替えたのは、トータルで安くつくと考えたから。


生分解性マルチはプラスチック製に比べ3.5倍ほど高くつく。


そんなに高いのになぜ?


※生分解性マルチは1年もすれば土に戻る(植物由来の原料でできているから)ので、はがす手間が省ける。これが最大のメリット。

※年をとると、マルチをはがすことはかなりの重労働(負担)になる。

※マルチははがした後、一定量がたまるまで納屋等に保管するため、場所をとる。

※マルチ類は産業廃棄物処理業者にひきとってもらうが、1キロにつき50円かかる。

つまり、トータルで安くつくと考えたから。




そのように考えない人も多い。

※マルチを繰り返していねいに使っている人もいて、そのため、買うことが少ない。ぼくはそれがとても面倒に感じたので、1回ごとに使い捨てにしていた。




プラスチック製マルチを使わない人もいる。ぼくもスタートしてから4年ほどはマルチを使わなかった。とても不自然に感じて・・・。枯草や稲わら・麦わら(どちらも購入)でマルチにしていた。

※プラスチック製マルチにすると、マルチの下の草は完全に抑えられる。

※肥料が雨で流亡しない。

※地温が上がるので、2週間ほど収穫が早まり、2週間ほど遅くまで収穫できる。つまり前後で1ヶ月間ほど収穫期間が伸びる。

※泥はねがつかず、葉物野菜などを洗わないですむことがあるし、病気発生も抑えられる。




マルチを使い始めると、草取りの労苦から開放されるので、手放せなくなった。

ウリ類やサツマイモのように、根元部分だけはマルチ(生分解性マルチ)で、ツルの伸びる先は草マルチにしている作物もある。



値段がプラスチック製マルチの2倍ほどの価格に生分解性マルチがなったら、一気に切り替えが進むだろう。今はまだ3.5倍~4倍の価格である。




農業は黒マルチだけでなく、透明のポリ類など、プラスチック製品を多く使う。


農業の現場は生活のために過重労働になりやすいから、環境にやさしい云々という基準より、その資材が安いか高いか、労力(身体)が負担になるかどうかの基準で動くことが多い。



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朝日新聞には、立命館と京大のコラムニストが多い



朝日新聞には、立命館と京大出身の人が多く登場する。


地方大学の論客が登場することは少ないし、名古屋大や東北大の人が登場することも少ない。


そして、だいたい同じ顔触れが登場することが多い。


同じ人だと、「どういう主張を書いてくるか」想像もつくので、新聞社としては扱いやすいのだろう。


ぼくは自分と考えの違う人のコラムはあまり読まない。だから著者名を見て読まない記事も多い。


自分にたいした知識があるわけではないが、もうこの年になると、知識のあるなしにかかわらず、自分の生きてきた経験などから、書いてある内容を判断している。


新聞は常に批判的に読むので、記事をうのみにすることはない。


広告も含めて、その新聞の指針(方針)と考えている。





最近は「林真理子」さんが広告によく載る。

2020年の5月には、日本文藝家協会理事長に女性として初めて選出された。

2018年には紫綬褒章を受賞している。

令和の元号が決まった会合にも呼ばれていたので、政権とのパイプが強いのかと思った。

この流れから、著作の広告が朝日新聞によく載るようになったと思う。




朝日新聞全体を通して感じることは「記事の根幹がどこにあるのかあやふや」で、右なのか左なのか中間なのか、立ち位置もはっきりしない。


しばしば立ち位置を変えているように見える。




だから「登場する論客が誰なのか」を気に留めておく。


常に批判的に読む(自分ならこう思うという考えをもって読む)ので、記事に誘導されることは少ない。




読者の「声」欄の記事は「無断転載禁止」なので、読まなくなった。投書する人はごくわずかと思うので、一人一人に「転載可能か不可か聞くこと」はごく簡単だと思うが、その便宜は決して図ろうとしない。

「添削することがあります」は朝日も毎日も共通しているが、これは新聞の「権威主義」と思う。

東京新聞はどういう扱いにしているのだろうか。





今日は朝日新聞にも都知事選の「本社情勢調査」が載っていた。


投票日が迫っているのに、こんな印象操作(情報操作)は許されるのか。


記事によれば、態度を明らかにした人を分析すると、小池氏は自民支持層の8割、公明支持層の大半を固めた。無党派層の7割にも浸透し、他候補を引き離している。

山本氏は、れいわ支持層に浸透し、立憲支持層の一部にも食い込む。無党派層の支持は1割近くで、伸び悩んでいる。


・・・これを読んで、「投票の出鼻をくじくような感じ」と思った。選挙の結果が現実にこのようになったら、東京都民は「政治のどこを見ているのか」と疑問に思う。


それとも、多くは「勝ち組」で、自分たちさえよければよいと考えているのだろうか。


こういう政治状況が続くと、日本は近い将来、沈没する。財界やマスコミの責任は重大である。コロナ渦で海外取引が縮小し、国内経済に目を向けざるをえないと思うが、国内経済は瀕死の状態だろう。



現政権を支持することは、たらいの水のごとく、まわりまわって結局「自分たちの首をしめることになる」くらい、わかりそうなものだが。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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