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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  藤本トシさん


『地面の底がぬけたんです』一部抜粋

失明


23年の秋とは、藤本さんの49歳の頃で、藤本さんはその後87歳で亡くなるまで40年近い盲目の日々を過ごされた。


(5ページ半です)

 前の日の夜まで本を読んでまして、次の朝おきたら、ぼおっと霧がかかって、なんだかそんなところに入ったみたいで、今日はえらく霧が深いねって言いましたら、霧なんかかかっていないよって、そう言うんでしょ。あらっと思ったんです。それでもう駄目。
 一晩のことでした。二十三年の秋でしたか。少しも痛みもしないで
 体が弱り切ってたんでしょうね。
 戦争でだいぶん無理しましたのでねえ。旦那さんが元気なお方は、旦那さんがずいぶん助けになって下さったんでしょうけど、あたしは、目の悪いつれあいを持ってましたから、その人に何とかして食べさせてあげようと思って、ひとりで一生懸命でしたから。
 少しでもむこうによけいあげたいと思いますし・・・むこうも、どれだけっきりないんだから、これだけ食べては足りなくなるということもわかるんでしょうけど、あたしはそう言われるたんびに、なんとかかんとか言ってごまかしてあげてたわけです。いまから思えば、それだけよけいに栄養が足りなくなっていたんでしょうか。
 それに、畑をやっていても、手が悪いし、やったこともなかったしで、充分できないんです。すると、見かねて他人が手伝ってくれますでしょ。そうすると、そんな時代ですから、手伝ってもらってありがとうじゃすまないんです。それで、自分のごはんを食べてもらうでしょう。何かお茶うけを買ってさしあげるなんてこともできませんでね、何も売ってないんですから、ごはんをさしあげるよりしようがないのです。ですから、自分は断食みたいなもんだったのです。
 見えなくなった時には、手の指はもうだいぶなくしてました。今ほどじゃありませんけど。というのも、戦争中、畑をするのに鍬を持ったでしょう、あれからです。曲った指で無理やり持つもんだから、そのうちに、指のまん中のところが筋切れになりまして、そこから腐り込んでいったのです。
 足の指はもう少しあとですけど、あたしは、こう、きっちり座るのが好きで、正坐ばかりしてたもんですから、反り足になってしまって骨が曲ってね。反り足というのは、足の裏の方へ甲の骨が反ったようになってしまうんです。それで、親指の背の方から腐らせまして、これも、指のつけ根から二寸五分も下から、骨ごとそり落としたんです。両方とも。
 ほんとにおかしな病気です、これは。
 うちの、この人は、ね、手首の関節がまるっきり利かなくなってましょ、はずれたみたいにぶらぶらして。足首もああなるのです。垂足といって。
 ほんとにねえ、手も足も目も、考えてみれば、まったく戦争のおかげです。
 目を失うってことは、これは失ってみて心底わかるんですけど、全部なくすってことなんです。この病気は麻痺が深いから。
 近さや遠さを計るのはもちろん、ものにさわったりものを握ったりするのも、みんな目です。お炊事や洗濯だって、目で切り、目で洗い、目でしぼってたのですし、目で書いてたわけで、もう、しばらくは、ものを言う気力もなくて・・・。
 虚脱状態でした。朝から、押入れの前に座ったきりみじろぎもしない。泣く涙もない。ぼおっとして・・・。恥ずかしいことですけど、気狂いみたいでした。
 だけど、これはあたしばかりのことじゃありませんで、みなさんおんなじですよ。ただ、他人さんとちょっとちがったとすれば、つれあいが目の悪い、不自由な人でしたもんで・・・そこのところがちょっと。
 そのくせ、自分がそうなっても、できるだけの世話をしてあげたいと思いますし・・・。
 なかなか立ちあがれませんでした。
 その時のあたしにとって、ほんとにかけがえのないお人がいましてね。その人に支えられて、やっとのこと立ちなおることができたんですけど、それが、さっき豆を持ってきて下さった人がいましたでしょ、あの人です。あの人が、ほんとにしんからあたしのめんどうをみてくれたんです。
 それというのがね、こう言うと自分の自慢話のようですけど、あの人が大変目の悪い、その上体の悪い旦那さんをもっておられた時があったんです。その、入院しておられた旦那さんに、あの人はありとあらゆる草を採ってきて、ものがない時ですから、炊いて食べさせてあげたんです。ところがお鍋もなくて、そこで、そこらに落ちていた洗面器の古いのを拾ってこられて、針金でグルッと鉢巻きにして弦にして、それを、自分で土をこねて作った竃にかけて炊いたんです。
 ところが、年中そやって炊いてるもんで、顔から背中から手足から、もうススで真黒けになるのです。それが普段のことならまだよかったんでしょうが、お正月になりましてね、同じ部屋の人たちが━━あたしがその時寮長だったんですけど━━あたしを呼んで、どんな時代であったって、とにかくお正月だというわけです。だから、せめてお風呂くらい━━あの人はちっともお風呂に行かんのです。それは行ってるひまがないから行かんのですけどね。それだもんだから、手で剥いだら剥がれるほどに、真黒に油煙が顔や手足についていて、髪の毛なんかはいぶされて、もう櫛の歯が通らないほどになっているんです。着物だってなんだって、そりゃなんともいいようがないほど汚れてるんです。それを、みんなが、あんな格好してられたら部屋の恥だから、せめてお正月の二、三日だけでも小ざっぱりしてほしいから、あれじゃああんまりひどすぎるからって、寮長だからあたしに何とか言ってくれって言うんです。その時あたしは、そうですか、あなた方はりっちゃん━━あの人りつえさんっていうんです━━りっちゃんをそんなに汚いと思いますか。りっちゃんが汚くて部屋の恥だと思いますかって、あたし言いました。
 あたしはちがいます。あの人はほんとうに偉いと思います。あなた方は真黒けで汚いというけど、あたしはあの人に後光がさしているように思います。ほんとに、あの人ほどのおこないができる人が、何人います。あれは捨身行の姿です。あたしからはそんなことは言えませんって、そう言ったんです。
 それで、あたしが目を失ってから━━あたしからはあの人に何も言わんのですけど、影になり日向になりして、言わず語らず多少はかばいました━━それであの人が、どれだけ力になってくれたかわかりません。ほんとに、今でもあの時のことを思うと涙が出ます。
 それにりつえさんは、目の悪い旦那さんを長い間みてこられた人でしょ。目が悪い人の扱いをよく心得ておられましたし・・・ほんとに、どれだけ世話になりましたやら・・・。
 今だにこうして、豆をとどけてくれたりして、あたしには恩人です。

(つづく)


2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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