家人の実家のヨウス(籾すり)の手伝いに行った。毎年1回のことであるが、玄米を入れた袋の紐を結ぶのがどうも苦手である。
他のいろんな「紐結び」も、何回教えてもらっても覚えれない。
農業の現場では「紐結び」が必要になることが多いのに、どうしても覚えれない。
義父によると、今年は米1俵の値段が去年に比べて4千円も値下がりしているらしい。これでは全く採算は合わないだろう。義兄が稲作の跡継ぎはしないというのも、この値段だとうなづける。1町7反(170アール)作っても、その年の減価償却費も出ない(払えない)のではなかろうか。
稲作は本当に機械代が高くつく。
ナラ枯れ
ナラ枯れの問題は農業新聞には今まで何度も取り上げられてきたが、朝日新聞で見たのは今日が初めてである。
ナラ枯れの問題を共有できる人は少ない。
自分にとってナラ枯れは大問題である。マツ枯れ以上の大問題である。
ナラ枯れが発生したら、所有の里山は崩壊してしまう。
里山の荒廃はいろんな被害を相乗的に勃発させている。
50年ほど前までは、稲秋が終わると、集落の人は皆、競争のようにして山に入ったという。そして地肌をなめるくらいきれいにしていたという父の話。それは57才の自分にもかすかな記憶に残っている。
まだ小学校に上がる前の頃、祖母に連れられて山仕事に行った記憶がある。遠方なので昼には帰らず「飯ごう炊飯」で、箸は「赤ん棒」という木の枝を使った。
小学校2年か3年の時に我が家に初めてプロパンガスが入った。それまでは台所の土間に「クド」があり、クドでご飯を炊いたり、おかずを作ったり、お茶をわかしたりしていた。
風呂はもちろん五右衛門風呂だった。
里山が放棄されたのは、集落の家々に「プロパンガス」が普及してからのことである。
それまでは、クドや風呂焚きのために「焚き付け用の落ち葉」、「風呂焚き用の下刈」、「クドに利用する割り木」は、冬の間に「里山から調達」しておく必要があった。
つまり11月中旬~3月中旬頃までの冬場の4ヶ月間の山仕事で、1年間分の「焚き付け用の落ち葉」と「風呂焚き用の下刈」と「クドに利用する割り木」を各家の軒下に保存したのだった。我が家にも軒下に落ち葉置き場があり、下刈や割り木も並べてあった。
「45年ほど前」を境に里山が放棄されると、
マツタケが生えなくなった。
県北ではイノシシが出没するようになった。
その後、マツ枯れが発生した。
そしてナラ枯れの発生が岡山でも確認された。
もう一度、里山に手を加えることができるだろうか。
すでに里山の利用価値はほとんどなくなっているのに、今さら、どうしようというのか。
今の自分は、
時々、腐葉土を取りに行く。
時々、落ち葉を取りに行く。
ヤギの餌に木を切って来る。
それだけ。
10年後の里山を考えたら、この国の未来が見える。
無残に倒れて放置されたままのマツやナラ。
山ぎわの田んぼは害獣が昼夜出没して、稲作も野菜も放棄された。
クマもイノシシと同じように進出して、物騒で昼間でも里山を歩けなくなった。
そのためグリーツーリズムはできなくなり、森林セラピーも危険でできなくなった。
秋になっても紅葉は少なく、春になっても芽ぶきは少ない。
どうしたらよいのか、里山
どうすることもできない、里山