


隣村の猟師さんが60キロはあろうかという大きな雄イノシシを「くくりわな」で捕まえた。
「イノシシを捕まえたから見に来られえ」と声かけをしてくれた。お墓のすぐ上の山で歩いて200メートルほどの距離。こんなイノシシが夜な夜な出没していたのに、電柵でよく防げたと思う。
ワナに引っ掛かった時、よほど暴れたのだろう。右の画像のように、あたり一面が畑になっている。足にワイヤーが食い込んでいる。

すぐそばに、左の画像のような「箱ワナ」も仕掛けているのに、これにはまだ入ったことがないようだ。捕まえても補助金は1円も出ないらしい。
今は狩猟期間ではないが、稲を荒らしているので特別に許可がおりている。
手負いのイノシシは危険と聞いていたので、どうやってとどめを刺したんですかと聞いたが「方法がある」と話されただけだった。全く出血はしていなかった。
今の時期はまだ肉はまずいので、「どう処分するんですか」と聞いたら、料理すると言われた。多分、猟犬にでも与えるのではなかろうか。口にワイヤーを引っ掛けて、引きずって持ち帰られた。
猟師さんが「くくりわな」や「箱わな」を設置するのは、ミツバチの「待ち受け」を設置するのと同じで、当人にとっては楽しみの一つなのかも知れない。柳の下にドジョウが1匹、ドジョウが2匹と口ずさみながら、待ち受けに入っているか毎日楽しみに見に行っていたから。

イノシシを捕まえたのはこの場所で、ここは隣村に通じる林道で峠の場所である。峠といっても、林道を少し登った場所である。この左側の山には、ちょうど今頃の季節、45年ほど前までは、たくさんマツタケが生えていて、休みの日や学校から帰って引きにいくのが楽しみだった。
まだ自転車もなかった80年ほど前までは、人も牛もこの林道を通って隣村と行き来していた。集落内に隣村との縁組が多い。祖父母の時代である。

今回は8日間で57匹の成果。まだまだ捕獲のペースは落ちていない。それにしてもペットボトルの捕獲器(3個設置)はおもしろいほど捕れる。スズメバチに学習能力がないのか、それともグレープジュース主体の液がスズメバチをおびきよせる効果が高いのか。
突然、ガンを宣告されたら
アニメーション監督 (今 敏さん)
46才、膵臓ガンで死去
この人、知っておられますか。全然知らない人だったが、昨日の朝日新聞の「惜別」に出ていたので、経歴等を読んだ。
新聞によると今年5月、末期ガンで「余命長くて半年」と宣告された。「妻と2人で聞いた。2人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった」と、手記に書いた・・・・。
集落内にも、膵臓ガンで52才で亡くなられた女性がいる。3か月前にはあれほど元気だったのにと思えるほどの唐突な死だった。その時に、膵臓ガンは発見が難しいガンなんだと思った。
これが自分だったら、どんなにうろたえるだろう。運命を恨んでも恨みきれないほどの衝撃だろう。
この人の死も他人事? 他人事にせず他山の石とすることはできないだろうか。
突然、ガンを宣告されたら、即、農業は止める。ブログは続ける。思いのたけを書くために。
農業はすでに最終ステージに入っている。ミツバチは放置すればすぐに野生に戻る。ニワトリ30羽は友人に引き取ってもらうか、業者に渡す。ヤギだけは心残り。ここ以上の環境はないだろうから。そしてヤギの利用価値は少ないから誰もたやすく引き取ってはくれない。野菜は21年近くしてこれたのだから良しとしなければ。
農業の次の段階へ進めないのは非常に残念だ。人生の最後の10年は出荷は止めて自給野菜だけ作り、ミツバチ、ニワトリ、ヤギは続けるつもりだった。残ったあり余る時間は、棚田めぐり、過疎の山村を取材ドライブ、日帰りで行ける農業者を訪問取材等に費やす予定だった。しかし、この楽しみはできなくなるだろう。
毎日、田んぼや池の土手や葉タバコ跡地をぐるぐると歩き続ける。そしてこの人と同じように感じるだろう。
『ガンの発見から1年数か月。生と死が常に意識の真ん中に座ると、凡庸な私でも自然や人生に注ぐまなざしが以前とは変わったような気がする。
悠々と流れる紀ノ川、山並みをわたる白い雲。自然は相変わらず輝くような生気に満ち、逆にそこはかとなく哀愁を漂わせているのだが、病む前とはどこか見え方が違う。生きとし生けるものへの限りない自然の包容力を感じ、我が身を委ねたくなるのだ。・・・・』(和歌山県 紀ノ川市 龍田健一さん 78才。2年前の7月21日、朝日新聞の「声」に載っていた)