45年前までの山道や山の風景が何も残っていない。変わり果てた姿だけが目の前にある。
開発されてしまったのだ。昭和40年代の高度成長の時代に。
都会ならそういうことは日常茶飯事だろう。5~10年前の姿が一変してしまうことなど。
子供の頃の風景が一変してしまうと、自分の居場所やアイデンティティの喪失につながると思いませんか。
都会だけでなく、田舎でも、この45年ほどの間に風景が一変してしまったのだ。川も道も山も池もダムも。
1600年代、1700年代の江戸時代ならそういうことはありえなかっただろう。幼い頃に見た風景が、40歳代で死ぬ頃でも、変わらなかったと思う。美しい山河の中ではぐくまれ、その山河の中にまた還っていく。死は新しい命へと循環する。
現代では命の循環さえあまり想像できなくなった。
2010年の現代と、300年前の1710年とでは、はたしてどちらが幸福だろうか。
現代の貧困は300年前とは比べものにならないほど悲惨なのではあるまいか。300年前なら、山の幸、里の幸、川の幸で、飢饉でも何とか飢えをしのぐことができただろうが、現代では貨幣がなければ何も口にすることはできない。
主従の関係も、現代の組織における主従の関係の方が、より屈辱的であるかもしれない。
魚を釣りに行った川は、三面コンクリートの川にかわってしまい、水はよどみ、川底の至る所に草が生えている。
釣りの餌の「蜂の巣」も「アザミの花の中の虫」も「ミミズ」も全く見かけなくなった。
昔は家の軒先に蜂の巣が多くあり、その蜂の子は川釣りのとっておきのエサだった。
アザミという花も今はめっきり少なくなった。
ミミズも、たいていの家のかど先には堆肥の山(牛小屋の前出しをしていた)があり、どんな堆肥にはミミズがたくさんいるか、子供でもよく知っていた。
10月の20日頃にはたくさん生えたマツタケも今は全く生えなくなった。
山ナスビも、山仕事が放棄されると同時に姿を消してしまった。
アケビを取りに行った山も開発されてしまい、どこがその山だったか、想像すらできなくなった。
山仕事のために作られた木立の中の薄暗い林道も、開発でなくなった。太い木や下刈した束が道のわきに置かれていた風景が懐かしい。
谷川のつららも全くできなくなった。
田舎の自然は45年前と今とでは、全く一変してしまったのだ。こんな開発がなぜ許されたのだろう。壊された自然はもう元には戻らない。
一生の間に、こんなに自然が変わり果ててしまった世代が、日本の歴史上にあっただろうか。変わり果ててしまった山河を嘆いても、元には戻らない。おそらく日本全国でこのような開発が同時進行でなされたのだろう。
変わり果ててしまったのは山河だけではない。田畑も荒れ果ててしまった。
どうしようもない。それが近代化であり資本主義の現実なのだから。
サラリーマン社会から落ちこぼれて、想像もしなかった百姓になった。
毎日、土に接しているおかげで、何とか今は、心身の均衡が保てれている。