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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  横山石鳥さん(7)



夜が来れば妻は勤めにいでてゆきわれは子のため積木はじめる




親子三人散り散りに暮すほかなしと言いゐし妻は早く眠りぬ




療園の近くに妻子が棲みてよりわが寮の庭菜畑となる




らいを病むゆえの悲しさ犬ゆきてあと往くもののなき道とほる




戦後九年園の民主化なるといへど守衛の壁に手錠掛けてある




独立家屋の居住権めぐる諍ひもつづまりは此の園にて生命終へむため




わが病この白き指をも蝕ばむのか瞬時に殺さるるよりも怖ろし




病重ければすぐにへこたれる思想にて言葉交すなく末席にをり




横山石鳥(横山秀夫)さんの略歴
1925年3月31日石川県に生まれる。1945年海軍航空隊にて戦傷、国立療養所、海軍病院など転院中にハンセン病発症。1947年1月16日栗生楽泉園に入所。1966年3月23日同園を退所。楽泉園では機関誌「高原」の編集にあたる。らい予防法闘争時、全患協栗生支部代表として全生園本部に駐在。短歌は1948年「アララギ」「潮汐」に入会、土屋文明、鹿児島寿蔵に師事。歌集『としつきの音』(1975草津公論社)合同歌集『盲導鈴』(1957新星書房)『山霧』(1966新星書房)『陸の中の島』(1956新興出版社)年刊療養歌集『試歩路』(1955第二書房)『無影燈』(1956第二書房)ほか、合同歌集『日本ヒューマニズム詩集』(1952三一書房)、合同詩文集『楓の影』(1955藤楓協会)ほか。「高原」に連載評論「生きること働くことの基本問題」。社会復帰後の1966年3月、地方新聞、草津公論社を設立。タブロイド版四ページ月2回刊、250号まで発行。1976年より1988年まで草津町教育委員会嘱託。草津町誌編纂室長として草津町誌「古代中世近世篇」「近代現代篇」「自然科学篇」「草津温泉の文化財」「草津温泉の災害と消防の二百年史」「日でみる町政八十年」などを執筆編集。現在、日本温泉地域学会理事、ぐんま日独協会常任理事、日本ドイツ学史学会会員、草津町文化団体協議会副会長。短歌雑誌「潮汐」の後継誌「群緑」選者。草津町文化財調査委員。福島県立医科大学医学部森修一博士との共同研究「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究」を2003年2月、日本ハンセン病学会雑誌に掲載発表。



人生後半からのたくましい行動力と生き方、立派な経歴。それを支えたであろう病者でない配偶者。まるで横山石鳥さんの将来を見通していたような一途な愛。


2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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