あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

「高原」俳句と師の大野林火さん


大野林火

 栗生楽泉園では本多一杉の死後、昭和25年10月まで中村汀女が、25年10月以降、大野林火が選に当たる。林火は26年4月初めて栗生を訪問するが、このとき当時の矢嶋園長に、「魂と魂のぶつかり合いでいきます」と語ったと伝えられる。

タンポポに癩者と影を同じうす

雀色時雪は光輪持ちて降る

命惜しむ顔々に映え青山河

交りを雨月ともにし深めけり

妄導鈴降誕祭へ道つなぐ


 「高原」昭和26年早春号の選評では「病苦に甘えた悲劇の押し売りはやめて貰いたい」と書いている。29年6月の「文芸特集号」の「選後に」の一文では、作句態度を次のように求めている。
 「俳句を抒情詩と認識することは、俳句を<私>に即くものと認識することと同じである。したがって、それは<私>の在り方にかかわるのだ。その点まだまだ<私>から離れて遊んでいる句の意外に多かったことは残念である。俳句を高尚なる?遊びごとに終わらしたくない。もっと、自分に引きつけて今の自分を冷厳に見つけて欲しい。自分をとくに意識し、生の証といえる一作一作を示して欲しい」。
 大野林火もまた、昭和57年8月21日没するまで、32年間「高原」俳句蘭の選を勤めた。享年78。
 高原俳句会は、「高原」12月号に「追悼句」を掲載した。

師の遺墨掛け秋の暮座してをり      化石

雁聞いて師の四七日の泊りかな     文次郎

師を慕う一人一人に秋日差        草人(※)

日に風に枯向日葵の光けり        春星子

師とありし歳月黄落月夜かな       武雄

亡師供養の旅なり萩の日和なる     晃典

師の言葉泉と共にありにけり       母杖

白萩の白きはまりし忌日かな      賀子

奥山の奥まで澄めり七七忌       房枝

師に遂にお会ひせぬ悔い夜長なる   すなほ

(※)小林草人=小林茂信(栗生楽泉園園長)

 すぐれた俳人を輩出した療養所俳壇を支えた、多くの有名無名の俳人の存在と生きようもまた我々の財産として語りつがれていかなければならない。(以上は俳句のあとがきに書かれていた)。


2030年 農業の旅→ranking

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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