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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  葉山学さん



熊笹の小径かけ下り日向路を友と吾との呼吸そろふなり




月あびて町の雪路をさむざむと合唱隊の児等灯を振りぬ




筒袖の着物そぐはず日の暮は心みじめになりて坐りぬ




ホルマリン消毒うけていまだ温かき本を丁寧に並べて干しぬ

どこの療園でも、昭和40年頃まで、本や紙幣も消毒の対象だった。近藤宏一さんの著作「闇を光に」のあとがきで佐々木松雄さんという方が『昭和36年当時、私たちが入学できる高等学校は、日本で唯一長島愛生園にしかありませんでした。私は、その県立邑久高等学校新良田教室を受験して合格したので、愛生園に転園(東北新生園から)することになりました。「伝染病患者輸送」と書かれた紙の貼られた列車に乗って岡山駅まで行ったのです。本土と長島の距離は、最も近い瀬溝から約30メートルほどしか離れていないのですが、橋は架かっていませんでした。高校の校舎、職員室、寄宿舎は同じ敷地内に建っていました。教師に用事があるときは、職員室に入れないので、外の壁に取り付けてある教師の符号が記してある表示を見て、ブザーを押すのです。モールス信号みたいなものでした。園内の売店にない品物を教師にお願いするのですが、出入口の所にクレゾール消毒液の入った洗面器が置いてあり、その中にお札を浸して、窓ガラスに張り付け乾かしていました。15歳の私にはショックでした。以下略』

昭和36年と言えば、治癩薬のプロミンで、大半の人が無菌となっていたはずである。
ぼくの記憶にも、岡山駅で、貨物列車に「伝染病患者輸送」の貼り紙を見た記憶が確かに残っている。昭和40年(12歳)頃だったと思う。こんな時代にまだ伝染病・・・と不思議に思った記憶がある。このことを思いだしたのは還暦が過ぎて長島愛生園の石田雅男さんと不思議なご縁ができて「闇を光に」の本を頂き、佐々木松雄さんの書かれたあとがきを読んだ時だった。




送りきし為替に添へし便りには返事は要らぬとのみ記したり




虫眼鏡あてがひて読む文字の上を拡大されし蟻がよぎりぬ




わが病癒ゆる日なしも姉上よ心はげまし嫁ぎたまへよ




葉山学さんの略歴
聖バルナバ医院。昭和16年5月18日長島愛生園入園。19年9月4日没。享年27。『高原歌集』(昭和12年)『青滋』(昭和26年)


2030年 農業の旅→ranking
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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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