あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  沢田五郎さん(10)




浮かび来る故郷は常に田と小川手拭にて目高掬いし春の日




小綬鶏の「ちょっとこいちょっくらこい」もまた楽し森に楽しきことのあるごと




生きる無駄はライ者自らが知るところ殺しやるは情けと言いし将校あり




戦い終り時おかずプロミンもたらされぬ戦場の他にても日本は負けいて




片時も故郷より心離れ得ず抜け殻のごとく過しし日もあり




故郷恋うる切なさは過ぎ過去なれど耳はそばだつその名聞くたび




旧法の隔離主義現行法に受け継ぎし昭和二十八年既にプロミンありき




沢田五郎さんの略歴
1930年4月29日群馬県生まれ。10歳で発病。翌年栗生楽泉園に入所。1949年から目を病み、55年失明。51年から作歌を始め「潮汐」「アララギ」。失明の頃から「アララギ」に疑問を感じ作歌を中断。昭和55年日本共産党入党。1965年「新日本歌人」所属。著書に『風荒き中』『朴の風ぐるま』『その木は這わず』『まなうらの銀河』『夜のほととぎす』『野ざらし』『とがなくてしす━私が見た特別病室』自伝『風荒き中を』(平成15年)により2004年度群馬県文学賞随筆部門受賞。『陸の中の島』(1956年)『山霧』(昭和41年)『風荒き中』(1967)『三つの門』(昭和45年)『冬の花』(昭和53年)『朴の風ぐるま』(1980年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『凍雪』(昭和63年)『その木は這わず』(1989)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)『まなうらの銀河』(平成8年)『夜のほととぎす』(平成14年)


この病者は、生きているうちに二度死ぬっていうんです。一度はライになった時、二度めは失明した時です・・・(藤本トシさん「地面の底が抜けたんです」より)

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」・・・明石海人さん(長島愛生園)。
沢田五郎さんは、1955年の失明後も、人生に燃え続けているのだと思う。


沢田五郎さんはぼくと23才しか違わない。短歌から、父母の世代の人と思っていたが、そうではなかった。11才で栗生楽泉園に入所し、終戦を15才で迎えている。


2030年 農業の旅→ranking

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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