あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  谺 雄二さん(7)




告別はせず



ターやんが 死んだ

きのうの夜 急に

まるで党の新しい任務にでも就くかのように

一言の 前ぶれもなく

さっさと逝っちまいやがった

看護婦や 同じ病室の仲間にさえ

息ひきとることを気づかせず

ひとりひっそりと 死んじまったター


やい ター

こんなことって あるかよ

おめぇ いままで いったい何のために

病み苦しんできたんだ

なぜもっと

意地にも 生きていなかったんだ

━━みんなの力で 戦争と搾取と病気のない世界を でなけりゃ 死にきれねぇ━━

と言っていたのに

ターよ あれはウソだったのか


ターは まったくの病床党員

入党してからも ずーっと切れめなく病みつづけていた

熱コブ 神経痛 胃拡炎

眼が真赤に充血する

だから「アカハタ」だって やっと手にして見出しだけ

党会議への出席 ゼロ

けれどターは ベットの上で

反動どもの正体を見破り 噛み砕き

ヘドにして 吐いた

━━むかついて おれの胃袋が うけつけねぇのさ━━

ターの痩せ細った軀を 党の思想が支え

敵への憎しみが 今日から明日へと ターをつないだ

━━きっと元気になってみせるぜ おれだってやる━━

ターの眼底に

ボクらは ぎらぎら光るものを見た

だのに ター

おめぇなぜ死んじまったんだ

なぜ 死を蹴って

もっともっと いのち焚かなかったんだ


ターの死を 悔み

いかに じだんだ踏もうとも

すでにターは ちんまりと棺の中に眠り

もう何も応えてはくれぬ

八月末の太陽は

今朝も 暮坂峠のむこうから昇り

やがて 四阿山のかげに 沈む

ここ栗生ヶ尾根は

只今 ターの告別式

じりじりと明るい陽ざし

気が遠くなるほど ふかい空

三十六歳 秋田生まれの 死

ライ病で 共産党員の 死

しかしターよ おめぇのこの死を

点鬼簿の一片にとどめ 何喰わぬふうに

かたづけさせは けっしてしない

同志田村を悼む痛みが

ボクらに その告別をゆるさず

新たな闘いへ かりたてる

(1965)



谺  雄二さんの略歴
1932年東京都に生まれる。同年母が発病、全生病院に強制収容される。1939年発病、母と同じ収容所へ。1943年兄発病。1951年栗生楽泉園に転園。1999年ハンセン病国賠訴訟を東京地裁へ提訴。2001年同訴訟熊本地裁判決で全面勝訴。以後、ハンセン病問題全面解決要求を掲げ、現在に至る。詩集『鬼の顔』(1962 昭森社)、詩・写真集『ライは長い旅だから』(趙根在との共著 1981 晧星社)、自分史『わすれられた命の詩』(1987 ポプラ社)。小説は北江良雄の筆名で『ハンセン病に咲いた花 戦後編』(2002 晧星社)に一編収録。


谺雄二さんとぼくは、たった21歳しか違わない。谺さんは2年ほど前、確か83歳で亡くなった。新聞に載っていたが、その他の内容が思いだせない。

詩としては、わかりづらい表現もあったが、全体としては意味が通じた。存分に生きられた人だと思う。
 



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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