あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  水田広さん



ベッドの上で


大きな手がほしい

太い腕がほしい

分あつい胸がほしい

すね毛のはえたでっかい足がほしい

髪の毛がほしい

まつ毛がほしい

口笛の吹ける口がほしい

星あかりでも道を歩ける眼

新聞や雑誌の読める眼がほしい

醜くない顔がほしい

そして


二十五歳のとしにふさわしい肉体がほしい


ああ つるはしを振いハンマーを振い働いてみたい










らい園短信


ぽっかりと

黒い

傷口のあいた

心をぶらさげて

子供たちは

鬼ごっこに余念がありません










便り


なにげなく投込まれた一通の手紙の

鉛筆の走り書きが

ぼくの心を重くする

「仕事中に正が血を吐いて倒れました 稲刈りに無理したせいです 貴方には心配をかけるだけだから知らせてくれるなと正は云いましたが・・・ 母は悲しくて眠れません」


戦争に青春をうばわれ

ぼくの病気に結婚をふみにじられた兄が

今度は仕事に血を吐かされてしまったのだ

血に染まった稲が

祈願する母が

哀しみにくれる母が

学生服の

軍服の

兄が

ぼくの脳裡をかけめぐる


秋がおわったら

借金を返し 牛小屋をなおし 風呂場を良くしたいと云っていた

母の 兄の夢は

また、無残にも砕かれてしまったのだ

秋もまだ半ばというのに











ある少女の叫び


わたしに同情なんかなさらないで下さい

わたしに甘い言葉なんかおかけにならないで下さい

わたしの為に哀しそうな表情なんかおつくりにならないで下さい

わたしの為にお涙なんかながさないで下さい


わたしは

わたし以外の人の為に生きているのではありません

わたしはわたし以外の人の為に痛い注射をがまんしているのではありません

わたしは哀れならい病患者なんかではありません

わたしはただお腹の底からでっかい声で笑ってみたいばっかりに生きているのです

わたしに犠牲者だなんて肩書をおしつけないで下さい



水田広(中原弘)さんの略歴
1932年2月21日、新潟県生まれ。八歳ごろ発病し、1942年8月8日、10歳にて父に連れられて栗生楽泉園入所。1963年退所。1970年熊谷盲学校入学、1975年同校卒業、鍼灸マッサージ師の資格を取る。1986年C型肝炎とわかり休業、今日に至る。『道程』(2002 ぶどうぱん通信)。



2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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