あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  高橋晴緒さん(1)


いのち


今日も正確に

太陽は山脈の向側に落ちて行った


その風景の向側には

僕のふるさとがある

母が

妹がいる

僕の

とおい友がいる

愛する恋人がいる

山がある

河がある

幼い夢がある


━━僕の心が

今日をいわれもなく病んでいるのは

山脈やまなみの向側の

風景が恋しいからではない

僕の病巣が永いからではない


自然があまりにも美しく

昨日のうえに

今日が

今日のうえに

明日が

あるように

僕の昨日のいのちのうえに今日のいのちがあるからだ










誰に手紙を書こう


あの日

あなたの悲報を裏付けるかのように


葡萄の花に

冷雨がけぶっていた


・・・海辺の病院で 千鶴子さんが亡くなった・・・


母は死を悼むように書いたのであろうが

便箋の一行に人の死があっけなく書かれたことが

癒えることのない疾病の私には耐えられない苦痛だった


あの切れ長の大きい眸に黒く豊にあった睫毛を音するようにまばたいたあなたの眸は

もう久遠にひらかない

笑うときなど声を呑むように笑ったあの声も

もう聴くことが出来ない

ヘンタイ仮名をよく使う文字の手紙も

もう来ないのだ


現在いまの私には ただひとりの

文通の出来た人だったのに

ああ 海辺のサナトリュウムの片隅で

独り侘しく斃れていったあなた


あれは支那事変の苛烈の頃だった

二十代の私には背負い切れない宿命の重量を背負って武蔵野の癩園に入った

あのひいらぎの垣の中に若い世代の血を秘めて暮すことは苦しい忍従だった


あの雑木林の果てから響き来る武蔵野線の車音を呪い

倖せという人生の位置に生きられる人達に
 
私は限りない羨望と憎悪と悔恨を覚えた


その頃あなたは小学校の教職をひき

結婚 戦争 夫の戦死 戦争未亡人

こどものないあなたは夫の一周忌後実家へかえった

「自己を拘束するような侘しい時代の流言、私には耐えられなかったの、子供のないということより、(戦争未亡人)ということが。いったい戦争というものが人類に何を残すのでしょう。
わがままないけない私を批判してちょうだい」


落葉の小径を歩いて四年

結婚後絶えていた最初の便りだったが

もうあなたはこの世にはいない


あの日

あなたの報せをうけた日

私は果てしない空に

切れ凧みたいになっているような哀しさを感じ

これから私は誰に手紙を書こうかと思った


2030年 農業の旅→ranking


このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム