あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  古川時夫さん(13)



わが友は傷の癒ゆるを待ち得ずに残雪の北海道へ帰りて行きぬ




雪混る風に真向い探りつつ盲導鈴ひびく坂を登りぬ




桜桃の熟しておらんふるさとの会津に似たる風の匂い来




配分する品に番号の札をつく盲人一九三名に届きたる服




幾年も充員運動続けおるにわれらのたのむ医師は去りゆく




八百の入園者がいるわが園に七つの宗教と六つの教堂




盲いわれ七つの花の鉢守りて高原の冬ようやく越しぬ




蕗の薹は咽喉に効くよとともどもに咽喉痛みし友は摘みきてくれぬ




園内の残菜処理場に餌を求め山の獣ら寄りて来るらし




食い違う話分かりて高笑いする耳の廃たる
浅井あいさん




朗読の奉仕者にまじる小学生小学読本声上げて読む





古川時夫さんの略歴
1918年会津若松市生まれ。1930年徴候が現れ1937年草津で点灸治療。1941年4月1日栗生楽泉園入園。1945年作歌を始める。1946年失明。1948年気管切開、カニューレを使用。1953年「潮汐」入会。56年結核を病む。1960年日本共産党入党。1964年カニューレをはずす。1969年新日本歌人協会、1970年「群馬歌人」に入会。詩集『ながれ』。平成2年6月13日没。『陸の中の島』(1956年)『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『身不知柿』(1976年)『冬の花』(昭和53年)「凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)


古川時夫さんにとって文学とは「生きていくうえでとうしても必要な心の羽搏きだった」と書かれているが、そのハンセン病文学に日々、癒されている。

平成2年(1990年)に亡くなるまで、44年間の盲目、16年間の気管切開(カニューレ)を、よくぞ生き抜かれた。




2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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