水
婦長さんの声に目を覚ましたのです
夢を見ていました
故郷津軽の草原に遊ぶ夢を
高い熱と衰弱に意識を失ったことも知らず
柩が用意されていることも知らずに
「婦長さん水、お水を下さい 喉が渇きました」
コップ一杯の水を息もつかせず飲みました
あれから三十有余年
ようやく知りました
水のやさしさを
水の強さを
水の大切さを
鳩笛
お土産にもらった竹細工の鳩笛を吹いているのは盲目の金さん
釜山の港から船に乗って日本に来たのは七十年も前の昔
文字のない金さんは故郷に手紙を書くことはない
時々育った
吹き鳴らす鳩は虎が棲むと言う山で聞いた鳩か
それとも高麗雉子の飛び交う林の中で聞いた鳩か
それとも唐辛子を乗せた藁葺屋根の庭で遊んでいた鳩か
今年八十八歳になったと言って
草餅を配った金さん
鳩になれ
山を越えて海峡を飛び越えて
金さんの山へ
金さんの林へ
金さんの村へ
今日も明るい春の陽射しがいっぱいの寮の縁側で
金さんは一人鳩笛を吹き続けています
石ころ
梅雨の晴れ間の散歩
白杖に触れたのは石ころ
拾い上げた石ころをポケットに入れて歩く
石ころのやわらかな肌の温もり
ポケットの石ころは一億光年の空の彼方に旅立った療友の贈り物
腹一杯食べたいなあと口癖のように話していた友からの贈り物
小さな石ころをポケットに入れて歩くと胸が騒ぐ