FC2ブログ

あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

北條民雄さん 続癩院記録(2)


ハンセン病文学全集4「記録・随筆」P564~P565を抜粋しました。



 また時とすると親子が揃って入院することもある。
 
 前記少年から半年ばかり遅れた頃、ハルちゃんという女の子が父親と二人で這入って来た。年はまだ九つであるが、大柄で世間ずれがしているせいか十二三には見え、それに非常にきれいな顔をしていて、この子が来ると暫くの間院内中がこの噂でいっぱいになったくらいである。病気は軽症であるに加えて神経型のため、外面どこといって病人らしいところがない。黒く鮮かな眉毛と澄み切った大きな眼とが西洋の子のように接近していて、頬が痩せてさえいなかったら、シャリイ・テムプルを思わせるくらいである。もっとも、こういう世界に長年暮し、見るものと言えば腐りかかった肉体と陥没した鼻、どす黒く変色した皮膚などで、患者達は美しい少女や少年に無限に執拗な飢えを感じているため、余計綺麗に見えたというところもないではない。ところがこの子の父親はひどい重症で、おまけに結核か何かを患っており、収容病室から舎へ移ることも出来ないで重病室に入り、その後間もなく死んでしまった。この親子は良く馴れた力の強そうな大犬を一頭連れていて、暫くの間収容病室内で奇妙な一家族を形成して人々を怪しませたものであった。
 
 私はこの親子のことを考えると、曲型的な癩の悲劇とはこんなものであろうと思わせられるのであるが、実は彼等はここへ来るまで世の人々の言う癩病乞食であったのである。つまり歩行の自由を奪われた父親を、車のついた箱に載せ、その力の強い犬に曳かせて、この九つになったばかりのミス・レパースは物乞いして歩いたのである。そして彼女の母親もやはり病気で、その頃は既に立つ力もなく、家に寝て彼等の帰りを待っていたという、文字通りの人情悲劇である。母親は彼等が入院するちょっと先に死んだ。
 
 だから彼等が入院した時は全身しらみだらけで、付添夫たちもちょっと近寄れなかったそうである。頭髪はぼうぼうと乱れ、手も足も垢が厚ぼったくくっついて悪臭を発散していたのは勿論である。が、風呂からあがり、床場へ行って髪をオカッパに切って来ると、忽ち見違えるほどであった。と付添夫たちは言った。
「この児の母親も実に美しかった。この児はその母親そっくりだ。」
 とは病める父親の術懐である。
 
 ところが、ある朝、私が例のように畑の中を歩き廻っていると、焼場の中から数人の人が群がって出て来るのに出合った。見ると一番先頭に立ってその児が骨壺を抱いて歩いて来るのである。
「どうしたの? 誰が死んだんだい。」と私が言うと、彼女は「父ちゃん。」と言って笑うのであった。別段悲しそうにも見えず、かえって一見愉快そうに壺を抱えているのである。


2030年 農業の旅→ranking


このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム

月別アーカイブ