FC2ブログ

あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

北條民雄さん 癩院記録(5)

ハンセン病文学全集4「記録・随筆」のP542~P544を抜粋しました。


 入院すると、子どもを除いて他は誰でも一週間及至二週間ぐらいを収容病室で暮らさなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であろう。舎へ移ってしまうと、いよいよこれから病院生活が始まるのだという意識に、ある落ち着きと覚悟とが自づと出來、心の置きどころも自然と定まって来るのであるが、病室にいる間は、まだ慣れない病院の異様な光景に心は落ち着きを失い、これからどのような生活が待っているのかという不安が、重苦しくのしかかって来る。それに仕事とても無く、気のまぎらしようもないまま寝台の上に横たわっていなければならないので、陰気な不安のままに退屈してしまうのである。

 舎へ移る前日になると付添夫がやって来て、舎へ移ってからのことを大体教えてくれ「売店で四五十銭何か買って行くように。」と注意される。その四五十銭がまあいわば入舎披露の費用となるのであって、たいていが菓子を買って行ってお茶を飲むのである。

 その日になると付添夫が三人くらいで手伝ってくれ、或る者は布団をかつぎ、或る者は茶碗や湯呑やその他の日用品を入れた目笊ををかかえてぞろぞろと歩いて行くのである。そうしていよいよ癩院生活が始まるのである。

 病舎は今のところ全部で四十六舎、枕木を並べたように建てられている。だいたい不自由舎と健康舎とに大別され、不自由舎には病勢が進行して盲目になったり義足になったり、十本の指が全部無くなったりすると入れられ、それまでは健康舎で生活する。ここで健康という言葉を使うと、ちょっと奇異に感ぜられるが、しかし院内は癩者ばかりの世界であるから癩そのものは病気のうちに入らない。ここへ来た初めの頃、「あんたはどこが悪いのですか。」という質問を幾度も受けたが、それはつまり外部へ表れた疾患部をさしているのであって、その時うっかり、「いや、癩でね、それで入院したんですよ。」とでも答えたら大笑いになるであろう。それは治療の方面についても言われることであって、癩そのものに対する加療といえば目下のところ大楓子油の注射だけで、あとはみな対症的で、毀れかかった自動車か何かを絶えず修繕しながら動かせているのに似ている。
 だから、不自由舎へ入らない程度の病状で、よし外科的病状や神経症状があっても、作業に出たり、女とふざけたり、野球をやったり出来るうちは、健康者で、健康舎の生活をするのである。

 不自由舎には一室一名づつの付添夫がついていて、配給所(これは院の中央にあって飯やおかずはここで配給される。食い終わった食器はここへ入れて置かれる。)へ飯を取りに行ったり、食事の世話をしたり、床をのべてやったりする。これは作業の一つで、作業賃は一日十銭から十二銭までが支給される。

 舎は各四室に区分されていて、一室十二畳半が原則的であると言えよう。他に三十二畳などというのもあるが、これはこの病院が開院当時に建てられたままのもので、今はただ一舎が残っている切りで、あとは六畳の舎が少しある。一室につきだいたい六人から八人くらいの共同生活が営まれ、この部屋が患者の寝室となり食堂となり書斎となり、また棋を遊ぶ娯楽室ともなるのである。

 男舎には、松栗檜柿などという樹木から取られた舎名がつけられ、女舎には、あやめ、ゆり、すみれという風に花の名が舎名としてつけらている。舎の前には一つずつ小さな築山が造られ、その下には池が掘られて金魚などが泳ぎ、また舎の裏手には葡萄棚などが拵えられて、患者達は少しでも自分達の住む世界を豊かにしようと骨を折る。ここを第二の故郷とし、死の場所と覚悟しているので、まだ小さな苗木のうちから植えつけて大きくしようとする。

 このあたりは土質が火山灰から出来ているせいであろう、常にぼこぼことしまりのない土地で、冬が来ると三寸四寸という氷柱が立ち、春になって激しい北西風が吹くと限界も定かならぬほど砂ぼこりが立って空間が柿色になってしまう。だから雨など降るとひどいぬかるみが出来て、足に巻いた繃帯はどろどろに汚れ、盲人は道路に立ったまま動きようもなく行きなやまなければならない。そこで院内の幹線道路には石が敷かれて歩行を助けるように出来ている。まあこれが病院のメインストリートで、病舎はこの石道に沿って建てられている。

 そしてこれらの石道は、病院の西側にある医局に向って集中し、医局の周囲には十個の重病室が立ち並んでいる。重病室からちょっと離れて収容病室があり、更に離れて丹毒、チブス、赤痢等の病人が入る隔離病室が三棟ぱらぱらと散らばっている。その向こうは広々とした農園と果樹園になっている。青々と繁った菜園の彼方に納骨堂の丸屋根が白く見え、近くには焼場の煙突が黄色い煙を吐いている。



2030年 農業の旅→ranking


このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム

月別アーカイブ