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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

多摩全生園  北條民雄さん



柊の垣にかこまれて


 駅を出ると、私は荷物が二つばかりあったので、どうしても車に乗らねばならなかった。父と二人で、一つずつ持てば持てないこともなかったけれども、小一里も歩かねばならないと言われると、私はもうそれを聴くだけでもひどい疲れを覚えた。

 駅前に三十四年型のシボレーが二三台並んでいるので、
「お前ここにいなさい。」
と父は私に言って、交渉に行った。私は立ったまま、遠くの雑木林や、近くの家並みや、その家の裏にくっついている鶏舎などを眺めていた。淋しいような悲しいような、それかと思うと案外平然としているような、自分でもよく判らぬ気持ちであった。

 間もなく帰って来た父は、顔を曇らせながら、
「荷物だけなら運んでもよいそうだ。」
とそれだけを言った。私は激しく自分の病気が頭をかき廻すのを覚えた。私は病気だったが、まだ軽症だったし、他人の嫌う癩病と、私の癩病とは、なんとなく別のもののように思えてならなかった時だったので、この自動車運転手の態度は、不意に頭上に墜ちてきた棒のような感じであった。が、考えてみるとそれは当然のことと思われるので、
「では荷物だけでも頼みましょう。」
と父に言った。

 自動車が走って行ってしまうと、私と父とは、汗を流しながら、白い街道を歩き出した。父は前に一度、私の入院のことについて病院を訪ねていたので、
「道は知っている。」
と言って平然と歩いているが、私は初めての道だったので、ひどく遠く思えて仕方がなかった。
「お父さん、道は大丈夫でしょう?」
と聴くと、
「うん間違いない。」
それで私も安心していたのだが、やがて父が首をひねり出した。
「しかし道は一本しかないからなあ。」
と父は言って、二人はどこまでもずんずん歩いた。
「お前、年、いくつだった?」
と父が聴いたので、「知ってるでしょう。」と言うと、
「二十一か、二十一だったなあ。ええと、まあ二年は辛抱するのだよ。二十三には家へかえられる。」
 そして一つ二つと指を折ったりしているのだった。
 1934年5月18日の昼下がりである。空は晴れわたって、太陽はさんさんと降り注いでいた。防風林の欅の林を幾つも抜け、桑畑や麦畑の中を一文字に走っている道を歩いている私等の姿を、私は今も時々思い描くが、なにか空しく切ない思いである。
 やがて父が、
「困ったよ。困った。」
と言い出したので、
「道を間違えたのでしょう。」と
訊くと、
「いや、この辺りは野雪隠というのは無いんだなあ。田舎にはあるもんだが━━。」
 父は便を催したのである。私は苦笑したが、急に父がなつかしまれて来た。父はばさばさと麦の中へ隠れた。
街道に立っていると、青い穂と穂の間に、白髪混じりの頭が覗いていた。私は急に悲しくなった。
 出て来ると、父はしきりに考え込んでいたが、
「道を迷ったらしい。」
と言った。
 腰をおろすところもないので、二人はぽつんと杭のように立ったまま、途方に暮れて、汗を拭った。人影もなかった。遠くの雑木林の上を、真白な雲が湧いていた。
 そのうち、電気工夫らしいのが自転車で駆けて来たので、それを呼びとめて訊いた。父は病院の名を出すのが、嫌らしかったが、なんとも仕方がなかった。
 私達は引き返し始めた。

 それからまた十五六分も歩いたであろうか、私達の着いたところは病院のちょうど横腹にあたるところだった。真先に柊の垣が眼に入った。私は異常な好奇心と不安とを感じながら、正門までぐるりと柊を巡る間、院内を覗き続けた。
 
 以来二年、私はこの病院に暮した。柊の垣にかこまれて、吐け口の無い、息苦しい日々ではあったが、しかし二十三になった。私はこの中で何年生き続けて行くことだろう。今日私は、この生垣に沿って造られた散歩道を、ぐるりと院内一周を試みた。そしてふと『死の家の記録』の冒頭の一節を思い出した。

 「━━これがつまり監獄の外囲いだ。この外囲いの一方のところに、がっしりした門がとりつけてある。その門はいつも閉め切ってあって夜昼ぶっとおしで番兵がまもっている。ただ仕事にでかけるときだけ、上官の命令によってひらかれるのであった。この門の外には、明るい、自由な世界があって、みんなと同じ人々が住んでいた。けれど墻壁のこちらがわでは、その世界のことを、なにか夢のようなお話みたいに考えている。ここには、まったく何にたとえようのない、特別の世界があった。これは生きながらの死の家であった。」

 だが、この世界と言えども、私達の世界と較べれば、まだ軽い。そこには上官という敵がいる。だが私の世界には敵がいない。みな同情してくれるのである。そして真の敵は、実に自分自身の体内にいるのである。自分の外部にいる敵ならば、戦うことそれ自体が一つの救いともなろう。だが、自己の体内にいる敵と、一体、どう戦ったらよいのだろう。

 柊の垣にかこまれて、だが、私は二年を生きた。私はもっと生きねばならないのだ。



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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