あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

多摩全生園  北條民雄さん




「怒ることも笑うことも出来ない。勿論心中では怒り、或は笑っているのである。しかしその表情は白ばくれているように歪んだままよだれを垂らしているのだ」・・・文中より。

自分の思いと表情の不一致。この病気は人間の、その人らしい表情をも奪う。ハンセン病文学全集4「記録・随筆」のP584~P587を抜粋しました。


表情


 表情を失って行くことは真実淋しいものである。
 眼は心の窓であるというが、表情は個性の象徴であろう。どんなまずい面であっても、またどんなに人好きのしない表情をもっていても、しかし自分の表情、自己の個性的な表情をもっていることは喜ばしいことであり、誇ってよいことであると思う。
「自分らしい表情やジェスチャーを毀されて行くのは、ほんとに寂しいね。」
 と、先日も友人の一人は私に言った。彼はまだ軽症な患者で、僅かに眉毛が幾分うすくなっている程度であるが、そう言った彼の眼には無限の悲しみが宿っていた。彼はX大の哲学に席を置いているうち発病したのであるが、しかしむしろ女性的と思われるほどこまかい神経と、美しい貌を持っていて、詩を書くのが上手である。そういう彼が、病魔に蝕まれ尽した多くの病友達を眺め、やがては自分もそうなって行くべき運命にあるのを知ったとすれば、彼はその語調以上に寂寥を覚えていたであろうことは、私にも察せられた。
「しかし僕はね、どんなに崩れかかったひどい人にも、なお個性的な表情は残っていると思う。或は、病気のために貌が変化して行くのにつれて、その変化に伴って今までなかった個性的なものが浮き上がって来るようにも思う。これを発見するのは大切だし、発見したいと思う。」
 その時私はそんなことを答えたのであったが、これは私のやせ我慢に過ぎなかった。
 
 どす黒く皮膚の色が変色し、また赤黒い斑紋が盛り上がってやがて結節がぶつぶつと生えて、それが崩れ腐り、鼻梁が落ち、その昔美しかった頭髪はまばらに抜け、眼は死んだ魚のそれのように白く爛れてしまう。ごく控えめに、ちょっと書いてすらこれである。ここにどんな表情が発見出来るだろうか。どんな美しい精神に生きていたとて、外面はけものにも劣るのである。いわんや神経型にやられたならば、口は歪んで、笑うことも怒ることも、また感動することも出来ないのである。時々、マスクを除った看護婦たちが嬉々として戯れるさまを、私はじっと見惚れることがある。そこには生き生きとした「人間」の表情があるからだ。若々しい表情があるからだ。
 
 怒ることも笑うことも出来ない。勿論心中では怒り、或は笑っているのである。しかしその表情は白ばくれているように歪んだままよだれを垂らしているのだ。考えるほど、妙な、おそろいしような思いがする。
 
 四五日前のことだった。
 子供達が秋の運動会の練習をやっているのを見に行った。子供達は子供らしく、元気に無邪気に飛びまわっていた。これは私にすくなからぬ明るいものを見せてくれた。飛び廻ることも出来るほどの子供であるから、みな病気の軽い、一見しただけでは病者とは思われない児ばかりであった。
 私は幅跳の線を引いてやったり、踏切を見てやったりした。

 その時、裸にズボン一つで私の横に来た子供があった。彼は腕を組み、肩を怒らせて、
「しっかり跳べ!」
 と叫んだ。
 背の高さは四尺五六寸しかなく、うしろから見るとまだほんの子供であったが、その声はもう大人であった。それもそのはずで、この少年は、少年とは言えぬ、二十一歳であったのだ。が、前へ廻ってその貌を見ると更に驚いたことには、そこには二十一という青年らしさは全然なく、さながら七十歳に近い老人を思わせたのである。貌全体が皺だらけで、皮膚はたるみ、眼はしょぼしょぼと小さく、見るからに虐げられた老人であった。けれども、自分では二十一歳という年齢を意識しているばかりでなく、よし蝕まれ腐ったものにせよ、若い血も流れているのであろう。頭には薄くなった毛をモダン気取りでオカッパに伸ばし、度も入っていない眼鏡をちょこんとかけているのである。
「ちぇっ、だらしがねえ、三メーターじゃないか。」
 小さな体で、だが兄貴らしく呶鳴るのであった。
 彼は幼年期から既に病気であった。そのために肉体的にも精神的にも完全な発育が出来なかったのである。そして少年期からずっと療養所で育ち、大きくなり、文字通り蝕まれた青春を迎えたのである。
 
 私はかつてこの男の作文を読んだことがある。『呼子鳥』というこの病院から出ている子供の雑誌に載せられていたのであるが、それは真に老人染みた稚拙さに満たされていた。子供の作文には子供らしい、素朴な稚拙さがあり、それが大人の心を打つのであるが、ここにはにがにがしい老人の稚拙さだけしかなかったのを覚えている。
 笑うと、老人とも子供ともつかない表情が浮ぶが、その文もやはりそういう表情であったのである。
 私はこびとのような彼の笑顔を見、嗄れた呶鳴り声を聴いているうち、限りないあわれさを覚えて見るに堪えなくなり急いで帰った。その虐げられたような笑顔が何時までも頭に残っていて憂鬱であった。
 
 表情のない世界、そしてある表情はこのように奇妙なものばかりである。友人のなげきも決して無理ではない。
 けれどこういうことを言えば、重症者たちは一笑にふしてしまうであろう。
「甘ったれるな。」
 と。
 それは私も知っている。こうしたことに悲しんだり嘆いたりしていられるうちは、まだまだめでたい軽症者であること! 時々じっと鏡を眺めながら、
「軽症者、甘ったれやがって!」
 と侮蔑の念をもって私は自分に向って言う。けれどやっぱり侘しいのだ。美しい顔になりたいとは思いはせぬ。ただ自分らしい表情を、自分以外には誰も持っていない私の表情を失うのが堪らないのだ。
 何時も眺める自分の顔であってみれば、さほどに変化も感じられず、怪しい癩病面になりつつあることをなかなかすぐには感じられないが、しかしふと往年の、まだ健康だった頃を思い出したり、その当時交わっていた友達などにばったり会ったら彼はどんな気持で自分を見るであろう、などど考えると、私はその場で息をするのもやめてしまいたくなる。
 
 だがそれはまだよい。真に恐るべきは、こうした外面と共に徐々に萎えしぼんで行く心の表情である。よし十万坪という限られた世界に侏儒のような生活を営むとはいえ、せめて精神だけは大空をあまかける鵬でありたいのだ。だが、それも、あたりの鈍重な空気と、希望のない生活、緊張と刺戟を失った倦怠な日々の中に埋められてしまう。毎日見る風景は貧弱な雑木林と死にかかった病人の群である。膿汁を浴びて感覚は鉛のように艶を失い、やがて精神はたがのゆるんだ桶のようにしまりを失うのである。
 
 この病院へ来てから私はもう二年と三ヶ月になるが、この「精神のゆるみ」とどんなに戦ったことだろう。しかしどんなに戦っても結局敗北して行くように思われてならぬ。勿論、最後まで戦って見る覚悟はもっているが、しかし、戦うというこの意志それ自体、その意志を築き上げている肉体的要素からして力を失って行くのだ。これに対して一体どんな武器があるだろうか。
 宗教!
 この時私の心に無限の力を与えてくれそうに思えるのは、宗教だけである。更にキリストの精神である。しかし、それも結局そう思うだけである。宗教!と思うせっぱつまった自分の表情が見えなければ、私は夢中になって信仰生活に飛び込んで行けるであろう。信ずるためには夢中になる必要があると思う。夢にも自分の表情を見てはならぬのである。
 歪んだ表情。
 生硬な表情。
 苦しげな表情。
 浅ましい表情。
 餓えた猿が結飯に飛びつくような表情。
 これが宗教に頼ろうとする時の自分の表情である。
 苦しくなった。書いてはならぬことを書いてしまったような気がする。



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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