
発砲スチロールの144穴の連結ポットに、キャベツ4ケース、芽キャベツ1ケース、ブロッコリー1ケースを播いた。
他にどんな忙しい農作業があっても、種蒔きだけは旬の時期に忘れずに蒔く必要がある。
種蒔きは田んぼでしたが、その後は家に持ち帰り、発芽するまでは納屋に置き、発芽したら日除けと虫除けのネットをかぶせ、目の行き届く家の門先で世話をする。
画像の軽四を置いている場所は、今の時期は9時半頃まで日陰になる。毎朝収穫(エンサイ、ツルムラサキ、青シソ、オクラ)が終わるとすぐに軽四の荷台で袋詰め作業をする。
雨の日は、収穫後は家に持ち帰り、軽四の車庫で袋詰めをする。
軽四の車庫は、子供の頃には豚小屋だった。
農業収入は少なかったので、家の普請(改造)はほとんどしていない。
親が残したわずかの財産で、母屋の2階を子供部屋に改造し、母屋の床は築50年が過ぎた頃にやり換えた。
親が残した財産はわずかでも、自分の代で家をいらわなくていいのは大いに助かる。
財産と言えるほどではないが、田んぼや農具もあり、就農当時は父も健在だったから、すぐに農業を始めることができた。
田んぼも一か所にまとまって2反ほどあり、道を隔てた2反余りをすぐに借地することができ、合計で4反ほどの田んぼになった。その田んぼには竹藪で日陰になる絶好の仕分場(袋詰め場所)もある。
農業を始めてから、農業をするには抜群の環境であることがわかった。だから農業の能力は低くても続けることができた。
日曜日には集落の墓掃除がある。
墓の上から見ると、田んぼが草山になっているのが丸見えである。今日は畦草を刈ったり、散らかっているものを片付けたりした。最低限、あまりみっともなくない「態度価値」だけは整えておく必要がある。それが集落で生きるということ。
毎日、忙しすぎる。あまり収入につながっていないのに、収穫、袋詰め、直売所の往復に時間がかかりすぎる。
何とかしなければ・・・