あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

「里帰り」と「ふるさと帰り」━━里帰り事業に思う

石田雅男さん「隔離という器の中で」P76~P83抜粋


 各県による里帰り事業も初期の頃は、県が用意してくれたバスに乗り、車窓から眺めることに終始して食事時間(弁当)には、しばしの時間を人気のない河原か野原で過ごし、時には神社、仏閣の関係者のご理解を得て境内の片隅で過ごしたこともありましたが、そこには故郷の風も吹いていません。

 従って里帰りの実感もありませんが、それでも社会から、故郷からも隔絶された県出身の入所者に車窓からであっても故郷の山河を眺め、社会の風にも触れてもらいたいとする「里帰り」の県企画であって、悪い筈はありません。

 こうした里帰りも時代と共に内容が改善され、県内の観光旅館、ホテルで一泊から二泊の企画が実施されるようになりました。この「里帰り事業」は各県の申し合わせのように隔年ごとの実施でしたが、それでも参加者は少なく、その顔ぶれが限られて来たのは、健康面の問題と、同じ県人であっても生れ育った地域が異なり、里帰りコースも難しいという事情から、結果は一般的に知られる県内の観光地めぐりの「里帰り」になってしまいました。

 これもまた仕方なし。ふるさとには近づかないでほしい、とする出身者の家族と周りの事情もあって、従来の里帰りの在り方をと願う県人の気持ちも理解できます。

 一方、不自由ゆえに参加者と一緒に行動ができないので参加を諦めている県人にしますと、「里帰り」らしく、ふるさとの側をクルマで走りぬけるだけでもいい、そして、ふるさとの空気を吸ってみたい、そう願う県人もいます。

 里帰り事業の難しいところでもありますが、ある時、兵庫県から、里帰りについての意見を求められましたので、私は従来の里帰りの在り方に良し悪しをつけるのではなく、今までの集団里帰りについては一考すべきではないかと、申し上げましたのは、従来の「里帰り」方式も尊重しながら、新しい企画として、不自由であっても、高齢で体が弱くなっていても、生まれ故郷の風に触れ、墓参りがしたい、そのように希望する県人には小型の車による「ふるさと帰り」として実現できれば、県の里帰り事業にも幅ができて、いいように思いますが・・・と。

 その後、私が申し上げたから実現したというわけではありませんが、兵庫県と他県の数県が「集団里帰り」「個別里帰り」といった二本立ての企画がなされ、しかも隔年ではなく毎年、「集団」「個別」のいずれかを希望にそって実施する、ということになり、ました。

 それぞれの県に大きな前進がみられて大変嬉しく思っているところです。

 それでも「らい」を病んだ者には、哀しいことに家族を失うか、ふるさとを失うか、そのいずれかの運命的なものがあるように思えます。

 皮肉なことに、社会と隔絶された厳しい時代であっても当時は家族もふるさともありました。しかし、入所して数十年が経ち、隔離から解放されて家族の元へ、ふるさとへ戻れる時代になったといわれる今、入所者はまるで年老いた浦島太郎に似て”ふるさと”は遠くに在りて思うものの存在になっています。

 もう20年ほど昔のことですが、私が父親のように親しく思い、おやじヽヽヽと呼んでいた人は長崎県出身で、長崎に「集団里帰り」をすることになった時、おやじさんは80歳という高齢に加えて視力も弱く、そのうえ手足も不自由なこともあって、私は付き添い役を頼まれて同行したのです。数人の県出身者と一緒に夜行寝台車に乗り、眠れない私たちは寝台に座って持っていたウイスキーを二人で飲み交わしていますと、その様子を見ていた一行の御婦人から「あんたたちはまるで本当の親子のようだワ」とひやかされましたが、この「里帰り」で私が最も強い印象を受けたのは、里帰り一行が初日に泊まった長崎県内の旅館でのことでした。

 歓迎会のような宴会が盛り上がっていた時、「Aさん、面会の方がお見えです」と知らせがあり、Aさんとは、私が付き添っているおやじさんのことです。おやじさんは事前にご家族と連絡をとっていたこともあって、来たかと、待っていたように私を促しながら、その宴会の席を離れて案内されるままに別の一室に入りますと、そこには、おやじさんのご家族と思われる方たちが正座の構えで待っておられました。

 初対面の私は少し緊張しましたが、時間の経過とその後の雰囲気に気持ちも落ち着いた時、おやじさんの奥さん、長男、長女、それに3人のお孫さんたちに対して、私からAさんのことを話ました。

 体が不自由になったゆえに不自由な人たちのことが分かり、療養所での医療、看護の充実と療養所の改善のための運動には常に先頭に立ってがんばっていること、お陰で療養所は随分とよくなり、Aさんは病気に罹ったけれども立派に生きて来られて、私たちは心からAさんを尊敬しているんです。と、私はAさんのご家族におやじさんのこと、療養所のあれこれを話しました。

 特にAさんの息子さん、娘さんは子どもの頃に別れた父親のことを恨みに思った時もあったに違いない。そう思えてならなかった私は、息子さん、娘さんに対して病気に罹ったけれど立派な父親であることを誇ってほしい、そう言いたかったのです。

 おやじさんの膝を三人のお孫さんが遊び場のように代わる代わり乗りかかり、おやじさんの顔面は後遺症のせいもあって嬉しさの表現は小さいものでしたが、膝を揺らせて体全体に喜びがあふれていました。

 その様子を奥さん、息子さん、娘さんが笑顔で眺めて、何ともいえない家族の素晴らしさを知りました。

 おやじさんの「里帰り」はこうして旅館の一室でしたが、素晴らしい家族との再会でした。生れ故郷の”ふるさと”には、その後も立ち寄ることなく、亡くなるまで「ふるさと帰り」はありませんでした。家族はいても”ふるさと”には帰れない、”ふるさと”はあっても家族はいない、やるせない思いがします。

 「里帰り」も「ふるさと帰り」もそれぞれ郷愁をただよわせた温もりのあるものであってほしい。”ふるさと”は在っても家族のいない私ですが、「里帰り」「ふるさと帰り」に託す思いはいっぱいあります。

 「ハンセン病訴訟」判決後に地方自治体として各都道府県が入所者の社会復帰支援、また里帰り事業等に前向きの姿勢を示したことに、私は心より感謝を覚えています。

 そして、その成果と課題はこれから見えてくるものと思いますが、今一つ私個人として叶えられるものならば、と秘かに思いを抱いていますのは、ホームステイのことであります。

 長い間、閉じ込められてきた入所者にとって、「社会復帰」「社会生活」「里帰り」等の話が新鮮な響きとなって聞こえてくるなかで、半信半疑の後、それが現実のことと信じられた時、それに順応できない高齢者、後遺症の重い障害者にとっては、遅すぎたということによる新しい哀しみが生まれたように思います。

 私は”ふるさと”はあっても家族のいない入所者が多いと申しましたが、そうした人たちにホームステイのような機会が与えられたら・・・とよく思います。(以下は略させて頂きました)。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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