あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  石田雅男さん


これは石田雅男さんが書かれた「凍てた饅頭」という創作作品です。少し長いので、「感動的な部分」のみにしようかと思いましたが、やはり全文を紹介しなければ意味がないと思いました。 途中から、俄然面白くなります。

現在80歳の石田雅男さんの40歳の時の作品で「愛生」に掲載されました。

鳥取と兵庫を結ぶ吹雪の戸倉峠を越えるシーンは、何度読んでも涙がでます。

還暦になった農閑期に石田雅男さんと出会ったことで、ハンセン病文学に導かれました。



凍てた饅頭

松の葉先に真珠の小粒を思わせる水玉が光っていた。そっと触れると、それは冷たい感触を残して流れ消えた。

木の間を透かして目の前に小豆島が大きく東西に横たわって見える、小高いN療養所の丘である。その小豆島は十数キロの遠くにあるとは思えない近さで映り、その西端に四国高松の屋島が文字通り屋根形の一角を思わせて小豆島の肩越しに覗き、一方の東端は西島と呼ばれる小島が墨絵ぼかしに浮かんで見える。

瀬戸の海は殊更に静寂な顔をよそい、空は白い部分と黒い部分が激しく張り合って油絵に見るような分厚く動く雲があった。

増尾一郎は、雨上がりの夕暮れにこの丘に登ってきたのだった。彼の家はこの丘から遠くない西の山裾にある四畳半が四室の長屋のその一室で、隣には彼より三つ年上の65歳の森浦常吉がおり、二人は仲良く老後を過ごしていた。それは毎日話らしい話もないのに話ばかり交わして、療養所の生活を代表するかのように何かを話し合っては過ごすのであった。

平穏無事な日々は結構なことには違いないが、二人の行動範囲も年々縮小されて、そこに必然的ともいえる世間的な話題との断絶が生じ、孤独と寂しさが日暮れの陰のように迫ってくるのを覚えてやりきれないものがあった。平穏無事な生活の中の唯一の苦痛は話題のない沈黙の時の流れであった。しかし、こうした沈黙の箱の中に閉ざされた時、決まって淡い陽が差すのは錆びた遺物ともいえる遠い昔の想い出である。そして、二人の会話は何度も何度も語られ聞かされるものとなったが、それでもお互いに抵抗も覚えず、一方が懐かしそうに昔を語れば片方はそれに相槌をいれた。仕方なく聞いてやっている。仕方なく話してやっているといった構えは二人にさらさらない。何度も聞かされた話であっても楽しい話は心から笑えたし、悲しい話には深刻になって、その都度新鮮な感情が動いた。こうして時が過ぎ、僅かに生活している実感が一日の暦をめくってくれればよかった。
「雨が降っちょるでどうにもならんが・・・」
晩秋の雨には珍しい激しさで雨は昼頃から降り出し、森浦常吉は屋根を打つ雨音を払いのけるように言いながら増尾の部屋に飛び込んで来た。
雨が降らなければ何かをするような口調であるが、何も予定はない。ただ増尾の部屋に入っていくには大人としての挨拶が要るように思っているのか、彼は必ず大きな声で入ってくるのである。それを増尾は何時の間にかノック代わりとして聞く習慣がつき、別段こだわりもしなかった。
「すぐと上がる雨じゃろ。お茶でも呑もうかね」
療養所の午前中は、治療のために医局を中心に行き交う患者がそれぞれに挨拶を交わし、会話の渦を作る。
それは森閑とした午後に比べて、まことに活気ある午前中と言えた。それだけに療養所の一日は午前中に終わってしまうようにも思える。
増尾も森浦も午前中は心弾ませ、まるで社交場へでも行く気分で治療棟へ足を運び、そこで他人の会話と動作に接し密かに退屈をまぎらしていたのである。しかし午後は怖いほどの退屈が待っていた。そうして何時の間にか二人にとってお茶の時間が出来、いまでは欠かすことの出来ない日課となった。
戸棚から専用の湯呑み二個を出し、湯ざましをかけて常用の玉露茶を注ぐ。若干の差であるが、森浦よりも増尾のほうが障害的には手指が揃っているだけ曲がりなりにも手の動きがよく、この場合の世話は増尾であった。
「どうぞ」と促して森浦と共に呑むのであるが、それぞれいっぱしの茶人になったつもりか妙に改まって呑むのである。一人用の小さい卓袱台に向かい合った二人の姿は、長いようで短かった人生の終着駅のような、あるいは浮世の片隅に設置された待合室とも思える侘びしい翳りのようなものがないではなかった。
「そうだ、饅頭があったんだよ」
そう言って増尾は戸棚から饅頭を出した。褐色の艶をたたえた栗饅頭はほこらしげに光っていた。
「森浦さん、饅頭は好きじゃなかったかね。今日買って来たんだけど・・・」
「・・・」
森浦は返事をしない。急に神妙な顔で饅頭を見つめるだけで、一向に食べようとしない。増尾は仕方なく自分だけ食べだしたものの、今日売店で買う時、お茶のあてに何がよいかを物色し、最初にこの饅頭が眼に入った。しかし、その時、一応森浦のことを思った。そして饅頭以外のものをとも思ったが、結局は森浦自身の好物である饅頭に決めた。自分本位で買ったことを嫌らしい行為として反省が湧いたもののどうしようもなく、それにこだわるとうしろめたい気分で饅頭も喉を通らないように思えた。
「森浦さんに悪かったね。そんなに嫌いなものとは知らなかったから・・・」
相変わらず森浦は虚ろな眼で、その視線は饅頭に向けていた。
「森浦さん、怒っているの? 何も言ってくれないけど・・・」
増尾は何度も声をかけ、話しかけたが返事がない。やがて我慢が出来なくて、大きな声で眼の前の森浦を呼んだ。
「・・・森浦さん!」
その声で森浦はひょいと顔を上げ、まるで夢から醒めたような顔だった。
「森浦さん、一体どうしたんですか?」
「うっ、うん、ちょっと昔を思い出していたんじゃ・・・」
「昔を?」
「ああ、この饅頭を見てな・・・」
「饅頭で?」
「増尾さんとは随分と昔話をやったが、饅頭の思い出話はまだ一度もしていないはずじゃ。忘れておったわけじゃないが・・・」
森浦は感慨深げに小さく呟いた。
「饅頭の思い出とはどんな・・・」
増尾には、森浦の呟きが大きな興味ある響きとして耳に入っていた。話題もなく、まして興味ある話なんて底をなめても得難い時に、誰にも話していない━の一言はたまらない魅力であった。
「森浦さん、聞かせてよ。・・・いまでも話したら不都合なこと? でなければ頼むよ」
増尾は迫った。
「・・・恥ずかしいというか、惨めというか、ともかくいやな思い出なんじゃ・・・」
恰好悪い昔のことなんでな・・・そう言いながら、それでも森浦は話す気配を見せた。増尾はまるで自分が興味津々の話をするかのように、喉の渇きを覚え、湯呑みの底にあった茶を口に運んだ。
「そうじゃね。あれは終戦の翌年、昭和21年の冬じゃった」

ライ病だ! 腐れ病だ!
石を投げられ追われるような屈辱と痛みを抱いて、兵庫の小さい山村を逃げ出した。
ライの病は、彼に隠し通せないほど顔面にどす黒い斑点を浮かせ、神経痛は口唇を侵し、しまりの無さが涎をおとさせた。その様子に家族や妻までが気味悪がって彼を避けるようにした。必然的に何時の間にか薄暗い納屋に閉じこもる時間が多くなり、それが当たり前のようにやがて暗黙裡に外出禁止となり、完全な納屋の住人となってしまった。小さい山村の人々は森浦の家族を避け、森浦の家族は彼を避けるようになり、彼は誰を恨むでもなくただ己を責めた。

━こんなことになるのだったら、いっそのこと軍隊に徴兵され、戦場で勇ましく戦死でもしていればどんなに栄誉であったか。あの時、村の仲間が次々と徴兵される中でわしだけが・・・。

薄暗い納屋で、彼はあまりの皮肉さに泣けてならなかった。そう、森浦は身長が不足で徴兵検査に失格したのだ。その頃、軍隊に入ることの出来ない男は人間でないほど侮辱された。

家族も世間的にはそう言って恥じるものの、それは周囲に対する付き合い上の愚痴であり、表向きの芝居に過ぎなかった。事実、森浦の両親や妻は、何が幸いするかわからんのう、と密かに喜び合ったのである。しかし、それも束の間のことであった。

「わしはそんなある夜、家族も妻も捨て、村を出ていく決意をしたんじゃ。それから夢中で村を飛び出して二年間、山陰地方で過ごした・・・」


山陰地方、それは日本海に面した鳥取県であった。
そこで、彼は二年間もの間、田畑の作物から海岸に干された魚などの盗み食いをして空腹を満たし、疲労した身体を安心して横たえたのは人気のない小さい寺か、海辺の潰れかけた物置小屋だった。

二年間の流浪の中で、幾日も野宿した彼にとって風雨の凌げる場が得られればそこが最高の褥であった。だが、疲労と空腹は毎日襲い、よたよたと歩く砂浜の道は重く何度もくずおれ、そのたびに白い牙をむき、大きくうねって押し寄せる日本海の波に恐怖して起き上った。

鳥取の冬は想像以上の雪国で家も木立も雪の下に征服され、木立ちは雪の下に雪のなすがままの恰好を見せ、それでも家は僅かに抵抗を示すかのように屋根の一角を天に向けていた。この白い静かな戦いとは別にこの時期の海は轟々と猛り、飛沫は高く白い牙は森浦まで呑み込む構えを見せた。それを意識した時、彼は今さらのように己の生の無意味、あまりの惨めな存在が哀れに思え、足元に流れつく瓦礫の一つを握りしめた。

二度目の冬、空腹と疲労を背負って鳥取と兵庫を結ぶ吹雪の戸倉峠を何度も何度も雪の中に転げながら、必死に峠を越えようとした。
「無我夢中じゃったが、あの時どうして兵庫の故郷に近い所まで来ていたのか判らなかったナ」
全く無意識の行動に思えたが、心のどこかに故郷を偲ぶ何かがその行動をとらせた。そして現実に故郷を間近に見た時、━どうしてここへ戻ってきたのだ━自分を疑った。山や小川を友にして過ごして数十年の故郷に違いないが、恋しい感情をあらわに表明し、諸手を挙げて縋り寄る身ではないのだ━こんな所へどうして今更!

それは惨めさの再確認のために吹雪の戸倉峠を越えてきたようなものである。

鳥取と違ってそこは雪が少なく、それでも十センチほどの積雪のある山野を穴のあいた藁靴をひきずり、故郷を思いながら雪の中を彷徨した。何処へ行くといった目的のない身体にはもはや気力も活力もあるはずがない。

もう駄目だ! そう思った時、彼の体内の力が恐ろしい勢いで抜け落ちその場に崩れてしまった。

どれほどの時間が経ったじゃろうか。わしは虚ろな眼で前方を見て眼をこすった。四、五メートルほどのところにぼんやりと何か紙包みのようなものが見えたんじゃ。わしは一瞬それが食物を包んでいる、と本能的に思えた。いや願っていたようじゃ。わしは犬のように四つん這いでそれに近づいた。多少の雪を被っていた紙包みに異常な期待を寄せて手に握った。震える手で開けてみると饅頭じゃった。饅頭が三個あった。直感は的中したものの、わしは何か信じられなくて辺りを見回し、再度饅頭を見つめた。今度はあっという間もなく口の中へ押し込んだ。黒砂糖を固めたほどの固い餡じゃったが、カスン、カスンと歯が割っていくと甘い味が口の中に広がった。わしは何度もその甘さを惜しみながら唾を呑み込んだ・・・。

こうして三個の饅頭を食い終わった時、僅かな生気が森浦に甦ってきた。すると、今まで忘れていたような凍てつく寒さを身に感じ、━これからどうする━と自らに問いかけた。

粉雪が舞っていた。「この雪の中でわしは凍死するのか。わしが死ねば誰が哀しみ、泪するのか。いやわしのようなものが死んだとてむしろ清潔な雪野原を汚した汚物ぐらいに思われて他人は罵るだろうよ」
森浦は、吐き捨てるように同情されたい感情を振り払った。真実、彼はマッチ一本の温かさでいいから人の情が欲しかった。ぼんやり眺める風景は何時の間にか視界を遮るほどの吹雪になっていた。
━このままでは本当に凍死するぞ━
彼は死の恐怖を覚えた。しかし、この時の森浦の死への恐れは、生きるために死を恐れるそれではなかった。白い雪の上で天刑病のなれの果てだと騒がれ、多くの野次馬どもに曝される、そんな恐れだった。
━こんなところで死んでたまるか━そう呟きながら彼はヨロヨロと起き上った。その時である。
「おい! 君!」
間近に吹雪を裂くような声が飛び込んで来た。ヨロヨロと起きかけた時だっただけに、びっくりしてまた雪の上に腰を落としてしまった。何時来たのか森浦は気付かなかったが、一メートルほど離れた所に人がいた。恐る恐る見つめると巡査らしかった。そして確かに巡査と判った時、森浦は反射的に逃げようと思ったが、心と身体は別で巡査に背を向けるのが精一杯だった。
「この雪の中で何をしておるのか!」
巡査は訝しげに迫った。
「お前、見るところ乞食だナ。何処から来た、こら、顔をよく見せろ!」
汚れた手拭いで頬被りをした顔を伏せ、巡査に背を向けていた森浦は、仕方なく恐る恐る巡査を見上げた。血色の失せた死人同様の顔面、その口から涎が糸を引いて雪に穴をあけている。巡査は一瞬ギクリとした表情で後ずさりした。
「実際に逃げ出したいほどに恐れたのは巡査のほうじゃったかもな。それでも職務上わしを浮浪患者として始末しよった」
この巡査の手続きによって森浦は強制収容させられ、今日に至ったのである。37歳の時であった。


「饅頭は当時をよく思い出させる。だから、何時の間にかわしは饅頭を避けるようになってしもうたんじゃ・・・」
森浦はそう言って話を閉じた。
増尾は聞き終って、自分の興味本位で要求した話は、森浦自身が一番触れたくなかった過去の屈辱の疼きであることを知り、申し訳ない気持ちで心が塞いだ。
「森浦さん。悪かったね。大変辛い思い出ばなしをさせてしまって・・・」
今度は増尾が神妙になってそう言った。
「いやいや、わしは最近になって思うのは、あの時の饅頭はひょっとして仏さんか神さんが下さったのじゃないかと・・・こう言うと年のせいだと思われるが・・・」
「・・・」
増尾は黙っていたが、ある意味で仏さんか神さんがくれたものと思えると言ったのが理解出来るような気がした。何故なら、その頃の日本はとてつもない食糧危機にあって、国民は一部の人を除いて大半が栄養失調と名のつく悲惨と残酷の海原にあった。生き抜くことの困難な時代のただ中にあって、森浦は病を背負って絶望の淵にいた。その時、饅頭を食べて少なからず生気の甦りを意識したと言った。そして運命が今日に至っているのではないか。

当時、この療養所も病と栄養不足が死への両輪となり、拍車がかけられていた。毎日数人の死者が出て火葬の煙は絶えることなく青い山間に昇った。そして、なおも葬りきれない死者が安置室に積み重ねられるといった想像し難い光景が現実だった。そんな時代に森浦は入所し、当時の患者に課せられた強制労働にも耐え抜いてきている。
小柄な身体であっても人生の重荷を背負った逞しい男として、森浦が映った。ともかく森浦の入所経緯に惨めな漂いがあるが、当時の古い入所者には共通する癩の憂き目である。増尾も森浦と同時代の収容であったが、増尾自身、森浦の話を聞いて、ああ自分は彼より倖せだったナ━と思える部分がある。彼は昭和24年、34歳の時に入所したが、それまで親の愛情をいっぱい受けていたように思えた。山口県の片田舎に生まれた彼は16歳の時、胸を患い、それはひどい喀血をした。村雀たちはたちまちに「あの家には肺病がいるから前を通る時は息を止めて走れ」などと囁いた。その後、戦争に行くこともなかった代償として人間扱いから外れ、24歳の時には「癩」を患った。親は大きなショックを受けた。とりわけ母は、━これほどの不幸、可哀想な人間がこの世の中にいようか━と親としての自責の末に床に伏し、増尾が島に来て数ヶ月ほどして世を去った。母子には何の罪もない。だが母はその優しさと思いやりのあまり生命を縮めたのだと、増尾は今もその思いに変わりはなかった。
「癩」を患ったことは親不幸と言えるが、森浦よりも倖せだと何処かで思えるのだった。
「森浦さん、嫌いでなければ饅頭を食べて下さいよ」
「ああ、食うかなあ」
「そう! それじゃお茶の入れ替えをするよ」
増尾はそう言って急須を持ち、勝手場に急いだ。増尾は心中、森浦のカラッとした表情に安堵を覚えて嬉しくなっていた。屋根を激しく打っていた雨も何時の間にか二人の話を密かに聞き入るような秋雨の雫となっていた。

瀬戸の海の静かなたたずまいを象徴するかのように「弁天島」がある。山の一角から転げ落ちたような一握りの小島、石砂利の参道がまるで海に浮かんで見える。先程まで話し合った遠い昔話の長患いにも似た思いを意識しながら、増尾はそこからの風景を見やった。
「癩」という重荷を背負わされた時、人生が終わったように思えた。確かに一つの人生は終わったが現実に生きてきたことはある種の惰性であったのか、そして、そんないい加減な生き方であらゆる困難、屈辱と妥協してきたのか。
いや、惰性で生きたとは思いたくない。何処かに生きることへの愛着、自分への愛しさ、それをなんとか正当化しようと努力してきたと思いたかった。
その増尾の姿勢は今日もなお続いている。一例を挙げれば、増尾は成人しても生きていくハリも目的もないまま過ごしていた頃、ふとしたことから一人の女性の息吹に触れ、それはやがて「愛」となり二人はグランドで向かい合った時、増尾は持病のような分別からその「愛」に一年と少々で終止符を打ってしまった。自分は40歳で、看護婦である彼女の23歳という年齢に対するギャップが、増尾の愛を押しつぶしたのであった。しかし、それが別離の後でやりきれない後悔となった。

今になって増尾はよく思う。━人生にあっては時に奴隷のような従順さで、悪魔の吹く笛であってもその調べに心ひかれれば、酔って踊れる人間でありたかった━と。それが人間をどれほど倖せにするか、増尾は「自分」という人間が自分が一番可愛がってきた筈だが最も「自分」を不幸にしてきたように思えてならなかった。

この増尾と比較して先程の森浦常吉は、「自分の力で生きてきたように思えても実際はそうじゃない。人間は常に何かに生かされていると思うんじゃ」
「生かされている?」
増尾は、意外そうにオウム返しで言ったのである。
「そうじゃ、お陰でこの療養所の考えられないほどの変わりようも知ることが出来た。患者も昔と違って人間らしく生活しとる。それに、ライ病も治って社会に出てゆくなんで信じられないほどじゃ。驚くことは最近、患者の若い人は看護婦さんと仲ようなって、社会で夫婦になっているそうじゃないか。増尾さんよ、考えられんのう・・・」
「・・・」
「まことに良い時代になったもんじゃ」
森浦は真底から今日まで生きてこられたことを、「生かされている」と解釈し、感謝すらしている口ぶりが老後の落ち着きを増尾に教えているようで、この年齢になっても何処か訳の分からない焦る自分の生きざまを情けなく思った。
一度の人生にあって少しでも悔いを残さないように努めるのは人間の常であろう。だが、それでもなお、多くの悔いを残すものなのか・・・。
黒い雲も白い雲も何処かに消えて、空は茜に燃えていた。瀬戸の海はそのしたたりを受けて赤く染まっている。その落日を眺めながら、「生かされているのか」と呟きながら、漁船が重いエンジン音を島影に残して消えてゆくのを増尾は見ていた


石田雅男さんの略歴
1936年  兵庫県明石市に生まれる。
1946年  10歳のとき発病、国立療養所「長島愛生園」に入所。
1999年  結婚、現在に至る。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


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