あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

回復

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P135~P138抜粋


 前にも書いたように、愛生園の開園記念日は毎月二十日にありました。この日は全員が集合して光田園長の訓話を聞いた後、園歌を歌い、戦前戦中は宮城揺拝を行いました。そして月に一回、この日だけ麦の入らない白いご飯が出ました。それ以外、白いご飯というものを食べたことはありませんでした。麦と半々ですが、その半分も政府の払い下げになった五年も経ったような古米を混ぜているから、蒸気で蒸すとプーンと臭った「臭い飯」でした。

 米の代わりとして、イモやらスイトンといった代用食が戦後も続きました。そんな食料難のおりに母が来てくれたわけです。私は初めて真っ白な米に出会いました。全部白米のお粥です。母が持ってきてくれた米で初めて白いご飯を炊きました。いまだに忘れられないのは、米というのはこんなに力があるものかと感じたことです。お粥を炊いて食べただけで、気分がサッと変わりました。

 母が来て以来、お粥とご飯を毎日食べて、日に日に力がつくなあと実感しました。食べ物によってこれだけ体調が違ってくるという感覚はいうまだに忘れられません。実は、母が家内にと置いていった焼きサバも、私が三本とも食べてしまって、家内には悪いことをしたと後悔しています。

 最初のプロミン注射の副作用でかなりダメージを受けましたが、その後、どうにか回復することができました。犀川先生の診断で「アゴの下に開いた穴が治らなかったら結核、治ればハンセン病。しかし他の人が治ってゆくので、これを続けて行きます」と言われましたが、結果的に治ったので、やはりハンセン病でした。

 体調も次第に良くなりましたが、午後は衰弱のため二百メートルある注射室まで行けなくなり、午前中だけプロミンを打つようにすると、全身の潰瘍が目に見えて治って来ました。潰瘍が乾いてきて、カサブタ状のものがはがれると中からきれいな皮膚が現れます。汚れのないその皮膚を見たときは赤ん坊の生まれたての柔らかな肌のように感じました。結局、二回の注射が多すぎたということです。私には一回で3CCの注射が適量だったわけです。過剰投与による薬禍でした。

 プロミン注射によって三ヶ月くらいで陰性になった人もいますが、人によって違います。私は菌陰性になるまで四年かかりました。医師に聞くと、どんなによく効く薬でも100%の人に効果があるということはあり得ないそうです。それだけ人体とは複雑で一人一人が違うものなのでしょう。

 らい予防法改悪反対闘争が繰り広げられた1953(昭和28)年、厚生省で座り込みを敢行するので東京へ行ってくれという話がありましたが、私は病み上がりだったため、行くことができませんでした。

 プロミンの副作用で大変な目に遭い、その後どうにか回復しましたが、この間、病気のことを「母に言わなければよかったなあ。黙って隠れとったほうがよかったな」と何回も思ったものです。母は農家の嫁です。突然、大切なお米を実家に立ち寄って持ち出し、一晩家を空けてまで私のところへやって来たわけですから、そこにはずいぶん難儀なことがあったと思います。帰ってからもいろいろと詰問されたに違いありません。ずっと黙り続けることもできないでしょう。余計な心配や苦労を増やしてしまったことをつくづく反省しました。その思いが次の十年間の別れになりました。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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