あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

碑文と図書コーナー

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P46~P49抜粋


 「反省と誓い」の碑文は、初めは私が草案を書くように依頼されましたが、委員全員で討議しながら作成することにしました。その全文をここに採録します。


 昭和初期「癩予防法」が施行されると、鳥取県は無癩県運動を開始し、ハンセン病患者を全国の療養所へ強制的に送り隔離した。

 とりわけ瀬戸内海の小島にある長島愛生園には、昭和三十年代までに鳥取県から百八十名以上の患者が送られた。愛生園の浜辺には、偏見・差別によって家族や生まれ育った故郷との絆を断ち切られ、望郷の思いでたたずむ患者の姿があった。

 戦後ハンセン病は治癒する病気となり、鳥取県は全国に先駆けて、里帰り事業、知事の謝罪、遺族のもとへの遺骨引取り支援などを実施したが、故郷に帰ることができた人は殆どなく、多くの本県出身者の遺骨は、全国の療養所の納骨堂に眠ったままである。

 県民の保健、衛生という大義の名のもとに、終生隔離され、遺骨になっても故郷に、また家族のもとに帰れないという不条理があってはならない。ハンセン病問題を教訓とし、二度と再びこのような重大な人権侵害が繰り返されないよう全ての県民が誓い、ここに「ハンセン病強制隔離への反省と誓いの碑」を建立する。
          平成二十年六月
             鳥取県知事 平井伸治

 この碑は、建立の趣旨に賛同いただいた多くの県民の募金により建立されたものです。
 この碑文にある「癩予防法」は昭和六年に制定されましたが、昭和二十八年「らい予防法」に改正されたのち、平成八年に廃止され、「らい」の語は「ハンセン病」に改められました。


 以上です。碑の建設費用として682万円が集まりましたが、総費用は602万円で済みました。残った80万円は、未来のために使おうと、県立図書館に寄附しました。県立図書館では二階に三百冊からなる「ハンセン病の啓発資料コーナー」、一階には二百冊の人権コーナーを設置してくれました。館長さんから「三月十七日に除幕式をします。加賀田さんの寄贈本コーナーも作りましたから是非出席して下さい」と出席を請われました。私も行ってみたかったのですが、体調が悪くて欠席しました。知事も来られて、その映像はNHKのニュースで流れました。

 ハンセン病問題は将来、必ず風化し消滅していくことでしょう。私たちの子供の時にトラホームや天然痘がありましたが、それと同じことです。天然痘やトラホームにはハンセン病のような偏見差別はありませんでしたが、ハンセン病者に対しては未曽有の人権侵害が国家の強制隔離政策によって起きたのです。裁判に訴えなければ、そのまま私たちは納骨堂の遺骨となって忘れ去られるはずでした。

 私たち患者の力は爪の垢のようなものですが、裁判に訴えて初めて弁護士の援護が得られ、マスコミによって国民の間に関心が広まりました。そして判決が出ました。もし国が控訴していたら裁判はいつまで続いたかわかりません。私たちもどんどん歳をとっていきますから、小泉首相の控訴断念には心から安堵しました。過ちを国がはっきりと認めることによって、地方自治体の首長も表立って謝罪に来ることができるようになったのです。

 その結果としてこのような碑を全国で初めて建立できたわけですが、この碑の存在によって「いつの日にか帰らん」という望郷の念を抱いたままの遺骨が各地に取り残されていることを思い出させるでしょう。多くの方たちのお力によって碑と資料コーナーを公の場に半永久に遺すことができ、私の心は少し安んじています。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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