あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

反省と誓いの碑

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P42~P45抜粋


 2008(平成20)年、鳥取県県民文化会館前に「反省と誓いの碑」が建立されましたが、きっかけは徳永進先生のアイデアでした。

 「加賀田さん、石碑を建てようじゃないか。県民のためにということで隔離されて一生を棒に振った。あんたといっしょだ。この人たちの遺骨は郷里に帰れない。帰りたくなかったというのなら別だけど、望郷の念にかられていながら、遺骨になっても帰れない。そんな不条理があってはならん。せめてそういう人たちがいたという碑を造って残そうじゃないか」という言葉が始まりでした。

 「是非やりましょう」と私が大賛成したのは言うまでもありません。

 私が早速片山知事に話したところ、「それはそうだ」と、二つ返事で資金の半額として百八十万円の予算を組んでくれました。そのあとすぐに設立委員会を結成し、ハンセン病の啓発という主旨を理解してもらって建設資金を募りました。募金事務は元担当官の福田敏さんが引き受けてくださいました。一口千円でたちまち五百二万円が集まり、県の百八十万円を加え建設に取りかかりました。

 碑の前面には「いつの日にか帰らん」という文句が刻まれました。文部省唱歌「故郷」の一節ですが、その作曲者・岡野貞一が鳥取市の出身だったこと、さらには「らい予防法」判決の日、熊本地裁に集まった原告、支援者が声を合わせて歌ったのが、「夢は今もめぐりて 忘れ難きふるさと」の歌だったことから選びました。碑の横には「ハンセン病強制隔離への反省と誓いの碑」と入れましたが、これを入れるについては実は一悶着あったのです。

 県はすでに「ハンセン病施策を考える委員会」を作っていたのですが、それでもやっぱり県の職員は官僚、お役人でした。「『反省』という文字を入れるのはやめてくれませんか」と言うのです。

 国が行ってきた隔離政策が間違っていたということは、県の職員も若い人はみな理解しています。二度とこのようなことがあってはならないという主旨のもとに集まった浄財であるにもかかわらず、そのお金で建てる碑には「反省」の文字を入れたくないというのです。

 「反省」と入れれば、先輩方のやったことを間違っていたと批判することになる。自分らは後輩として、先輩が間違ったとは言いにくい。もち間違ったと言えば自分の将来に影響する、つまり、出世のコースから外れるという気持ちがあるわけです。ただただ保身です。「反省」という言葉には厚労省の官僚も県の官僚も非常に抵抗しました。

 しかし私たちは「反省」の文字を削るわけにはいきませんでした。最近の例としてはエイズがありますが、これからどういう新しいウイルスが発生して人間を襲うかわかりません。今まで聞いたこともなかったエイズの出現は、偏見、差別による病者の排除というかたちで人々の間に広がりました。きちんとした知識の普及がなく、噂によって恐怖だけが広まるところでは偏見、差別、排除が起きるのは人情というものです。こういうことは厳しい検証と反省がなければ、また起こります。そこにこそ誓いの意味もあるわけです。こうした私たちの強い思いが通じ、「反省」の文言は残されることになりました。

 デザインは県民から募集し、委員会で厳選の結果、倉吉市在住の池田正晰さんの作品が採用になりました。上下二色のツートンカラーで、下半分の白色は真面目に生きる純粋さを、上半分の黒は病魔に襲われて苦しんでいるという、ふたつの心の葛藤を表現しています。荒いハツリ部分は日本海、白くこまやかなハツリは瀬戸内海のさざ波です。高さ三メートルの大きい石を地形や風景との調和も考慮して二メートル六十センチに削りました。

 ところがいよいよ建てることになって、まだまだ偏見や差別が強いことを知りました。建てる場所で少しもめたのです。徳永先生は「砂丘が見えるところや、大山の見える鳥取県らしいところに建てたら」と提案していましたが、県立博物館の庭や公園の一隅ではだめかといった意見も寄せられ、紆余曲折の末、ようやく県庁の芝生の中に落ち着きました。

 片山知事のもとで一期だけ副知事をやられた、総務省出身の若い平井伸治新知事が一言、「県庁のこんなところに建てたって誰も気がつかない。こんなバカなことはない。毎日イベントがある県民文化会館の玄関ドアの横に建てなさい」と指示して、鳥取市のメインストリートに建てることに決着したのです。

 「反省と誓いの碑」建立は私の人生の最後の締めくくりだと思っています。


2030年 農業の旅→ranking



このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム