あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

違憲判決と三権の分立

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P23~P27抜粋


 わかっていながら、やろうとしなかった━━これが一番悪いことです。強制収容を政策として続けることによって、一人一人が自らつくってゆく人生を諦めさせた。それはそのまま家族との再会や故郷に迎えられることを断念させることでした。その断念と引換えのように所内における福祉や生活、医療について改善が図られてきました。

 これは人権の尊重という視点から見れば差別の増幅にはかなりません。「らい予防法」による強制収容は間違っていたときちんと謝罪すること、それは一人一人の社会復帰についてきちんと責任を持つということです。

 全国に国立のハンセン病療養所が十三ヶ所ありますが(最初に設立された公立療養所五カ所も、戦時中に国立に移管されました)、「らい予防法」が廃止された1996(平成8)年、その入所者の平均年齢はすでに七十三歳に達していました。しかし社会復帰のための支度金はわずかに百五十万円でした(その後、二百五十万円に変更)。

 また、入所者は国民健康保険の「適用除外」でした。所内や特定「委託病院」の治療は無料ですが、外部の大学病院やら一般病院での「保険外診療は差し支えない」、つまり有料なら診てもらえるというものでした。私たちは本人証明としてもっとも一般的に使われる「健康保険証」すら持てませんでした。結局「らい予防法」が廃止されてもなお、入所者がこのまま歳を取って「自然消滅」してゆくのを待つという基本姿勢に変化はなかったのです。

 「らい予防法」が廃止されて二年たった1998(平成10)年七月、鹿児島の星塚敬愛園の入所者ら十三名が「らい予防法違憲国家賠償」を求めて熊本地裁に提訴しました。国民として正当な権利である社会復帰を阻んだ強制隔離政策は憲法に反するから謝罪して責任をとるべきだという訴えです。国は強制隔離してきた歴史的事実を忘却のうちに流し去ることを狙っている、そういう国家の体質は改めるべきだというのが、この訴えの主旨でした。

 熊本地裁への訴えが始まると、続いて東京の多摩全生園、そして瀬戸内海の三園からも同じような動きが始まった。三つの原告団があるのですが、その人数が何人なのかを明らかにすることは、これがまた非常にデリケートな問題で、ハンセン病問題を象徴するものでした。「原告になっとることが家にわかったら困るから、わしが原告に入ってることは言うてくれるな」というわけです。ずっと身を隠して生きている。「今さら表立ったところへ出ていくと家族が困る。だからこの裁判に自分は出たいけれど出られない」、「名前は出してくれるな」という原告がいるので、確実は人数はつかめなかったのです。

 弁護団もこの「最大の人権蹂躙問題」に対して無知であったことを深く反省すると声明して、二百五十人の弁護士が集まりました。原告名の秘密を守って、弁護士が代理人を務めました。最後にはおおよその人数(2200人)は公表しましたが、個人名までは公表しませんでした。

 熊本地裁の判決は3年後の2001(平成13)年5月に出ました。それは1960(昭和35)年以降についての隔離政策は人権侵害であり憲法違反だというもので、原告側の主張を大筋で認めるものでした。

 判決は同時に、国会に対しても1953(昭和28)年には治癒することが確定されており、1965年には「らい予防法」を廃止すべきだったと、その怠慢を「立法不作為」として断罪しました。行政と立法を、司法がはっきりと断罪した画期的な判決です。下級審の裁判長が国政の誤りを正した判決に、私たちは万感の思いを込めて万雷の拍手を送りました。

 それからが小泉さんの出番です。当時の秘書官の回想記を見ますと、政府と自民党の中でいろいろとあったようですが、小泉純一郎総理は上級審への控訴断念を決定し、地裁判決は確定しました。当時、医師出身の坂口さんが厚生労働大臣でしたが、小泉さんには勇気があったと思います。翌月6月の内閣支持率は90%を越して、人気のあった小泉内閣を通じても最高記録を示しています。

 あの「控訴断念」のとき、私は日本でようやく三権分立が生きた、民主主義がようやくここに定着したという感想を持ちました。それは長い間の厚生省との交渉、また架橋運動を通じていつも煮え湯を飲まされるような思いばかりしてきた体験が感じさせたことです。同時に差別され続けてきた私たちの生存が、ここにきてようやく三権分立の立証に役立つことになったという感慨もありました。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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