あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

加倉井駿一先生

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P215~P218抜粋


 加倉井さんは非常によくもののわかった人でした。その時点で可能なことを勇気をもって実行される、そういう役人、官僚はなかなかいませんでした。

 加倉井さんは慶応大学医学部を卒業すると公務員として茨木県に奉職します。ここでハンセン病に出会いました。それは上司の命令によって患者をトラックで強制隔離する、その尻押しでした。そのときに「こんな酷いことをやって、患者さんに申し訳ないことをした。なにか機会があれば患者さんに償いたい」と思われたそうです。

 戦後、厚生省療養所課の時代に新予防法が制定されましたが、こんなことをすべきじゃないと思っていたそうです。反対闘争で座り込んだ患者を省内の食堂へ案内して、「コーヒーでも飲みなさい」と勧めた話は、代表で行った人から「親切な役人もいる」と聞いていましたが、それが加倉井さんでした。

 鳥取県の厚生部長に転出し、着任後すぐに愛生園に慰問に来ました。私はたまたま県人会の会長をしていましたから、「強制収容されて家族との絆も切れて、故郷へ帰ったことのない人を、県が代わってお墓参りをさせてあげてください」とお願いしました。すると加倉井さんは、「それはいいことです。菌の陰性者証明のある人を拒否するのは間違っています」と即座に返事をされました。

 加倉井さんが県に戻って衛生課長と担当官に話すと、彼らは「難しいですね。らい予防法に抵触しますし、そんな予算は組んでいません。宿泊するところもありません」と言う。「県の職員の出張費を使ったらいい。宿泊は県が経営する国民宿舎があるだろう。そこはそういうことのためにあるのだから、そこへ泊める」と加倉井さんが言っても、まだ渋るので、最後は「部長命令だ。きみたちは部長命令が聞けんか」と言ったそうです。これを聞いて加倉井さんは「水戸っぽ」だなと感じ入りました。鳥取県庁にはまずいないタイプです。

 私たちの方では、家族との再会やお墓参りを望みどおりに叶えて帰ってくる二泊三日の旅ということで、菌陰性で一度も帰ったことのない人を条件に、四人を選定しました。

 こうして話が進んでいるとき、加倉井さんが「里帰りは鳥取の駅まで列車で来るように」と言ってきました。不自由な人が四人だけで、しかも二十年近く外泊もしていないので、「迎えに来て欲しい」と頼むと、「それでは隔離から一歩も出んことになる。駅まで自分たちで来なさい」との厳命でした。

 こうなると四人は不安がいっぱいです。私に「いっしょに行ってくれ」と頼むのですが、私は二年近く前に墓参りに行っています。ここまで来て中止になったのでは話になりません。今後にも悪影響となります。やっと説得して、当日の朝は岡山駅で列車に乗り込み座席に座らせるところまで付き合いました。

 鳥取駅には迎えが来ていて、四人はそのまま県の車で県庁の厚生部長室に招かれました。そんな扱いを受けたことは絶えてないので、「出されたお茶もよう飲まなかった」とは、帰ってからの笑い話です。

 国民宿舎では共同の温泉風呂ではなく家族風呂で、食事は部屋に運んでくれました。そしてお墓参りや肉親の人にも会える人は会いました。普通の列車に一般乗客として乗ることが、生き方においてどんなに大きな勇気を与えることになったか、これも里帰りが生んだ大きな意義でした。以後、旅行を趣味とし、一人で旅に出かけるようになった人もいたようです。

 四人が部長室に招かれたとき、そこに加倉井さんをよく知る朝日新聞の記者がいて、この里帰りを特ダネとして全国に報じました。翌年から「里帰り事業」という名称のもとに各県が一斉に初めました。全国の自治体、県が故郷に帰ったことのない人を受け入れて、ホテルに泊めて、家族に代わって里帰りをさせるという「制度」ができたのです。

 実は加倉井さんは鳥取県の部長に出向する前の療養所課長補佐時代に、すでに医務局長に、「もう感染しないのだから、終生隔離の人に里帰りをさせたい」と根回しをしていたとのことです。私は加倉井さんがもっと上の地位になったときには、私たちが運動をしている予防法も改められるという気がしていました。しかし本省に戻って公衆衛生局長をされているとき、五十四歳の若さで亡くなりました。ご本人が一番残念だっただろうと思います。

 課長時代には、私もいろいろと話をすることができました。障害者、盲人に理解が深く、ラジオのテープ録音や点字を要求したときには、「そういうことなら予算がすぐに取れる。よしっ!」と言って、現在の「盲人教養文化費」を設定しました。これも予防法を前提とした改善策でしたが、官僚として隔離の壁に突破口を開こうとするのは難しかっただろうなと、加倉井さんの実行力に感嘆しながら思います。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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