あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

知事の謝罪

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P36~P39抜粋


 2001(平成13)年の5月11日、「らい予防法」の違憲判決が下され、23日には国が控訴断念の発表をしました。1日おいた25日には、鳥取県の片山善博知事が長島愛生園を謝罪に訪れました。

 その前日の24日、県人会長だった私のところへ「明日、片山知事が謝罪に行きます」と連絡があったので同県人会に連絡するとみなさんたいへんな興奮で、「今さら、知事は何をしにくるんだ」「俺らをひどい目に遭わしゃーがって」とみんな、非常に怒っていました。当日になってもさらに、「昨夜は田舎のことなんか思い出させられて眠れなかった。お陰で同居の寮友も眠れなかった」と怒りはまだ治まっていないようでした。

 しかし知事が来られて、目の見えない人やら指がない人の手を握り「長い間、ご苦労をかけてすいませんでした」と謝ると、あれほど怒っていた人たちが涙をボロボロ流して泣き出しました。その涙は望郷の強い思い、家族と故郷への断ち切れぬ思いを断ち切って生きてこざるを得なかったことを表していました。受け入れてもらいたいという情が深いところで脈々と生きていたのです。

 片山知事は本気で、「これは謝っても、謝りきれん問題だ。国はなんてことをしたか。後を引き継いだ私の責任です」と頭を下げるわけですから、怒っていた人たちも返す言葉もなく、ただ涙を落とすばかりでした。このときの知事の謝罪は私の生涯の中で、決して忘れることのできない言葉となりました。

 片山知事は、「あなたたちが苦労された話を、小学校の高学年や中学生に話していただきたい。この年頃に聞いた話は生涯、死ぬ瞬間まで忘れない。十代前半のこの人たちにどんどん話をして、なにが正しいことかを教えてやってほしい」と言われました。

 それから私も学校へ行くことが多くなり、ハンセン病患者が受けてきた差別と偏見の歴史や人権問題について講演を続けました。

 実は鳥取県というのは、「無らい県運動」というのをもっとも積極的にやった県でした。県単位で「癩予防協会」を結成して募金を集め、愛生園内に鳥取寮(48人定員5棟と児童用1棟)を建設寄付しているのです。当時、愛生園はすでに定員を200人以上超過していたこともあり、新たに鳥取県から強制送致するための措置でした。寮は、立田清辰知事と桂誠警察部長の業績を称えて「立田寮」、「桂誠寮」、それに鳥取県の地名に因んだ「大山寮」、「三朝寮」、「白兎寮」と名づけられました。

 患者と判断されたら、県民の保健衛生のためだといって、制服警官がやってきて強制収容し、特別護送列車を編成して長島愛生園に送り出しました。当時は地域の保健衛生を管掌していたのは警察でした。彼らはその家やら周囲を消毒しまくって、地域に恐怖心を与えて、その家族というだけで健康な子供までが学校から登校拒否されるという状況をつくり出しました。鳥取県の予防協会は戦後も存続し活動していました。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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