あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

「非国民、国辱」が「教育功労賞」を受けること

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P49~P53抜粋


 鳥取県の教育委員会は平成20年度の「教育功労賞」に、私を13人のうちの1人として表彰してくれました。依頼されて出向いた講演だけでなく、PTAや県がバスで長島まで派遣した生徒、学生、社会人に私が現地で話したことなど、長年にわたる活動が社会教育に貢献したということで教育功労賞に結びついたようです。

 私が愛生園に入った頃は、露骨に「非国民」「国の厄介者」という扱いでした。戦時中でしたが、私たちは兵士にも軍事徴用工にもなれず、役立たずの「穀つぶし」だの「ただ飯食い」などと蔑まれました。目の見えない人は頭を振っているだけで何もできないからといって、職員からは「座敷ブタ」と言われました。他園のことですが、「お前たちはクソ製造機だ」と、人を人とも思わぬ侮辱があって問題にもなりました。本当にあったことです。

 私たちは小学校へ入るとともに「万那無比の聖なる日本」と教えられました。だからハンセン病は日本にあってはならない国辱的疾患でした。厄介者であり、「民族浄化」の対象だったのです。

 長島愛生園には「開拓の歌」というのがありました。その作詞者は愛生園の医務課長(現在の副院長に相当)で、後に鹿児島の星塚敬愛園の園長になった林文雄医師です。そこには次のようにあります。

 世の隅に悩む はらから迎えて
 愛のわが村を うち築かん
 祖国を浄むる 一大使命に
 生きゆく身の幸 いざうたわん

 この歌を毎月の20日に催された開園記念日に患者、職員の全員が集合して歌っていました。「祖国を浄むる一大使命に生きゆく身の幸」とは「隔離の中で死んでゆくことによって消滅することが祖国へ尽くす道であり、これに励むことを幸せとせよ」の意です。ここには治療(による社会復帰)の精神はなく、犠牲への精神洗脳があるばかりでしょう。

 また、青森県の北部保養院(現・松丘保養園)の園歌には次のような一節があります。

 身は傷つきて いたむとも
 心は清く 甦り
 民族浄化 目指しつつ
 進む吾等の 保養院

 この作詞者は当時、北部保養院の医師で、後に内務省衛生局予防課長となった高野六郎氏です。「民族浄化目指しつつ進む吾等の保養院」と、その浄化対象者である患者に歌わせていました。私たちはときに自嘲的になることがあっても、こうした歌詞にとくに疑問をもつこともなく歌っていました。

 このような扱いを受けてきた私が教育功労者になりました。その体験を語ることが社会教育になると教育委員会が認めたということです。国や一般の人々の人間観が百八十度変わったということだな、と改めて感じました。この受賞は故郷の新聞にも書かれたので、近所の人からも「おめでとうございます」と祝福されました。

 人権について真正面から論じることも非常に立派なことですが、親子や交友関係において説得したり、感動を与えることが大切であり一番のポイントだと思います。私の妹も、体育協会の会長やPTA連合会の会長を務めるご主人に私のことを話して、すぐ理解してもらえたようです。今ではホテルに親族で集まって茶話会まで開けるようになりました。普通のことが普通にできるようになって、人間としての名誉回復をしみじみと感じています。

 振り返ってみれば、兵役免除となった私は、多くの友人が戦死しているなかで図らずも長生きしてきました。世の中に対してよかったのか悪かったのか「分からんな」という思いがあります。教育功労賞を受けることになったときは、「人間の悪いところも見た、いいところも見てきた」という感慨をもちました。蚊の鳴き声のようなものでしたが、患者運動をやってきた我が人生に悔いはなしと改めて思うのです。


2030年 農業の旅→ranking

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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