あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大阪で勤労学生に

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P62~P63抜粋



 1932(昭和7)年、私は小学校の高等科を卒業しました。当時の義務教育は尋常小学校六年で、そのあと高等小学校二年を終えて働くのが普通でした。余裕のある子は尋常小学校を出てから五年生の中学校、女子は高等女学校へ行きました。

 卒業時に担任の先生は私に師範学校に行くよう、盛んに勧めました。師範学校というのは尋常小学校、高等小学校の師範すなわち教師養成用の学校です。五年制なのですが、授業料の補助があって貧しくても行ける学校でした。

 ところがこの昭和7年、師範学校の新入生受入れが中止になってしまいます。担任の先生が「一年間、補習してやるから」というので、家の農作業を手伝いなら勉強して待っていたのですが、次の年も募集がないということがわかって、大阪に出て商社へ入りました。1933(昭和8)年のことで、私は16歳になったばかりでした。

 私が子供のときのことを考えてみると、昭和6年が満州事変、軍国主義が盛んになり、いわゆる十五年戦争に突入していった時代です。富国強兵のため、小学校高等科にも軍事教育が導入され、師範学校の入学も中止になりました。

 大阪へ出ても学校へ行きたいという希望は持続していました。だから働きながらもまず学費を稼がなければということで、一年間働いて今度は夜間部に通いました。仕事は通学のために三十分早く切り上げ、そのかわり朝早く出勤しました。労働条件も厳しかったので、少々過労だったかもしれません。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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