あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

石館守三先生

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P184~P186抜粋


 1966(昭和41)年、大阪府と藤楓協会(現・ふれあい福祉協会)主宰の「ライ(ハンセン病)を正しく理解する集い」が森ノ宮の青少年会館で開かれた際、体験談を話してくれと私に声がかかりました。私は「この通り、治っています」としゃべったのですが、そのあとで高島園長に「君に会わせたい人があるので、いっしょに来てくれ」と呼ばれて、ついて行くとそこには真っ白な髪の紳士が立っておられました。

 高島先生は私に「この方がいつも話している、日本でプロミンを精製されて、続いて毎日の静脈注射では痛くて痛くて辛かろうと、DDSを始めとする経口投与内服薬を開発された東大薬学部長の石館教授です」と紹介してくださいました。そして私のことを「この患者さんがプロミンの過剰注射による副作用で末期症状に陥った体験者です」と紹介されました。

 すると、石館先生は私の手の甲から右腕いっぱいに広がっているケロイドを撫でながら、「済まなかったね。よく我慢してくれた。よく治ってくれたね」と、ハンカチを目に押し当てられました。治ったほうがお礼を言って感動するのは当然のことですが、薬を作って治した先生が感動しておられたのです。このとき私は恐縮を超えて、神か仏に出会ったような深い感動を覚えました。私の生命を九十二歳の今日まで延ばしてくださったのは、あの涙を流された先生の深い人間愛のお陰と信じています。

 私が死なずに生きたことを心から喜んでくださった石館先生がおられたからこそ、私は予防法の廃止後、鳥取県の要請に応えて、学校、公民館、シンポジウム、フォーラムで「語り部」として講演を続けることができたのです。この活動が社会教育に貢献したという理由で、思いもよらなかった表彰を県の教育委員会から頂きました。こうして人間としての名誉回復につながることができたのも、多くの方たちの生命の明りがあったからです。最後に私の思い出に残る人たちについて、その「いのち明り」の姿を述べたいと思います。

※「いのち明り」は故・岡部伊都子さんの言葉です。愛生園開園六十周年記念文化講演会(1990年11月13日・愛生園福祉会館)に講師として来園された岡部さんの演題が「いのり明り」でした。


2030年 農業の旅→ranking



このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム