あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

プロミン薬禍による瀕死状態

加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P126~P130抜粋

 
 私も1949(昭和24)年からプロミン注射を始めました。主治医になられたのが、私と生年が同じで3ヶ月違うだけという若い犀川一夫先生でした。先生も若いし、私も若くて、よく話をし、友達みたいに親しくしていました。先生についてもまとめて第五章「いのち明り」で述べるつもりですが、残念なことについ先年、亡くなられました。

 今思えば、先生にしてもプロミンは初めて使う薬剤なのでよくわからないわけです。それで「あんたは169センチ、68キロだから、午前中に3CC、午後2CCと2回注射を打つ」ということになりました。ところが打ち出して1週間したら寒気がして、10日を過ぎると、斑紋が潰瘍になって、頭の毛が抜けて、39度前後の高熱が出ました。衰弱は烈しく、入所者としてよく見ていたハンセン病の末期と同じ症状となり、いよいよ私も死期が近づいたと思いました。

 一番苦しんだときは、夜、呼吸が困難になりました。寝ていると鼻がつまって窒息しかかるわけです。呼吸ができない苦しさから逃れるために喉に穴を開けてカニューレを差します。園内には「失明10年、喉切り3年」という言葉がありました。カニューレを差すようになると余命が3年という意味です。

 私はちょうどその状態になったわけです。呼吸困難になると、家内は冷ましたお湯をヤカンから洗面器に移し、私はそのぬるま湯の中に顔を突っこんで、苦しいけれど鼻から吸うわけです。そうするとつまっている痰がぬるま湯でだんだんゆるんできて、フッと空気をやるとスポンと抜ける。そんなにスースーとはいかないけれど、ようやく呼吸ができて、これでやっと死と隣り合わせの状態から抜け出せました。

 この苦しさというのは末期症状そのものです。失明後の明石海人に「切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし」の歌がありますが、瀕死のなかで自分の状態を冷静に見つめて優れた歌にしていることに感嘆します。

 その頃には足も手もものすごく臭くなっています。斑紋が潰瘍になって、そこから膿がたくさん出てガーゼや包帯をするのですが、すぐに滲み出てきます。重病棟ではハエが追っても追ってもたかります。放置しておくと、ウジがわきます。包帯を取るとウジがいるので、つまんで簡易便器に捨てるのを習慣にしている人もいました。ポトン、ポトンと断続するその音は、趣味を楽しんでいるかのごとく聞こえます。私は衰弱していますから、ほとんど家内がやってくれました。

 ガーゼや包帯は洗濯して再生するわけですが、それも患者の重要な作業となっていました。洗濯は普通のお仕着せといっしょだったので、下着だけは自分たちで洗いました。すべてが付添いの仕事だったのですが、私の付添いは全部家内がやってくれました。家内には寒い時期、海に入って貝を取ってきて食べさせてもらったり、ずいぶん世話になっています。

 39.5度くらいの熱が続いたときは、呼吸困難の苦しみと全身の潰瘍、脱毛、衰弱に見舞われました。ハンセン病で一番最悪の重傷状態です。喉に大きな穴が七つも開き、膿が出ました。主治医の犀川医師は、「治らなければ結核の瘰癧、治ればハンセン病」と診断され、放射線治療を受けていました。私もたくさんの病人を見てきていますから、自分でも末期症状だとわかります。

 そのとき思い浮かんだのが北村くんという同年代の友達のことでした。作業からの帰り、病院に寄って、「おい、元気かい?」と見舞ったことがありました。すると彼が「加賀田くん、わしは今晩六時に死ぬわ」と言うんです。「バカなことを言うな。おまえ、何を言っとるか」と言って帰りました。ところがその夜、連絡があって駆けつけると、「六時に亡くなった」と言います。予言どおりに、本当に亡くなったのです。

 それからは人間というのは死ぬ時間まで分かるのかなと思うようになりました。私の命もあと一週間か十日と思って、このままたった一人の母になにも告げずに死ぬのはよくない、最期の知らせだけはしなきゃいかんと思い、約束を破って初めての手紙を出しました。

 母とは入園直前に故郷で会って、それから十三年、お互いにそのときの約束を守って音信不通で通して来ました。これまで偽名など使ったことはありません。本名で通してきたのですが、このとき初めて偽名を使って、母に手紙を書きました。1949(昭和24)年のことでした。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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