
草が伸びて、電柵の線にかなり触れていたが、やっと柵線の下の草刈りを終え、支柱の所だけは鎌で刈り終えた。
柵線の支柱の地ぎわの部分は、草刈機の刃が少々あたっても構わないように、全てのポールにパイプを入れてくれ、コーナーの部分は画像のように鉄棒で補強を入れてくれている。だから、去年の11月24日に電柵を作ってもらってからこっち不都合は全く起きていない。備前市八塔寺のNさんに作ってもらったが、こういう細部の配慮がとてもありがたい。
だから、草さえきちんと刈って漏電を防げばよい。しかし、その草刈りがなかなか予定通りに進まない。
草刈りをしながら、よくこれで害獣に侵入されなかったなあと思った。
電柵の下だけは定期的に除草剤を使うつもりだったが・・・4月に1回だけ使い、その後使っていない。


ニワトリの特定部位の羽がずっと抜けており、生えてこない。
こういう画像をアップするのがいやで、ニワトリの画像を避けていた。
一緒に購入した2人の友人はどちらも、羽は抜けていないらしいので、エサの何かが足らないのだろう。
ただ、今まで19年間ニワトリを飼ってきて、羽がこんなに他のニワトリによって取られたのは初めての経験である。
エサは従来と全く変わらず、草は毎日欠かしたことはない。
羽装がきれいで、今までと羽の色が違ったのでこの品種を選んだが、次回は従来飼っていたニワトリの品種にしようと思う。
ニワトリを飼う目的は、野菜の残渣処理や卵だけでなく「鑑賞目的」も大きいから。

ミツバチに刺されたのは、飼い犬に噛まれたような体験だった。
あれから少し気分が落ち込んで、毎日は見に行かなくなった。
それでも今にしておもえば、状況をもっとよく観察しておけば刺されなかったと思う。あの時、巣門の周りにたくさんいたミツバチが急に「ばらけた」ように見えた。それから攻撃された。

ヤギは石垣をそんなに壊していない。もともと崩れかけていた石垣も多いが、これ以上の崩れは望まない。あまり崩すようなら、石垣に竹を並べようと思ったが、その必要はなかった。
フランシーヌの場合
フランシーヌの場合は、あまりにも、おばかさん・・・
しかし、そういう生き方を選択する人も多い。
団塊の世代の人は、高度経済成長という波に乗ってただひたすら走り続け、疑問を持つ余地などなかったのだろう。
それでも若い時は「全共闘世代」だから、それなりにデモもしたのだろうが、それは青春の単なる飾りであり、身だしなみのようなものだった。卒業するとすぐに、そういう「若さの特権」から卒業し、組織の歯車の一つとして、疑問を持つ時間も術もなく回転し続けたのだった。
そのしわ寄せは次の世代(団塊世代の子供)に、「ロストジェネレーション」問題として浮上した。
ボクは団塊世代より5年ほど遅く生まれた。予備校の時に「浅間山荘事件」があり、その衝撃から「学問の府」は急速に静けさを取り戻し、「遊びの府」になった。
何となく大学へ行き、何となく卒業し、何となく会社へ入り、何となく入退社を繰り返しているうちに、次第に追いつめられ、晴天のへきれきのようにひらめいた農業に転身した。
会社組織にうまくはまれず、結局サラリーマンをドロップアウトしてしまった。
農業は、フランシーヌの場合のような「死」ではなく「再生」となった。
しかしいまだに、先が見えない再生の渦中にある。