あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

相互扶助


加賀田一さん「いつの日にか帰らん」P84~P86抜粋


 愛生園のいいところは、同病者同士ということでコミュニケーションが簡単に取れたことです。そしてなんの気兼ねもなしに外を歩けたことです。職員居住地域との間には境界線が設けられており、それは厳重に守られていましたが、それさえ受け容れればずいぶん癒しになったと思います。最初に見たときの衝撃も案外に早く慣れて、抵抗感も次第になくなっていきました。

 ハンセン病は初めは元気であってもいずれ何年か後には必ず悪くなるときがあるといわれていたので、悪くなったときには必ず患者さんに世話になり、迷惑をかけることになるのだから、元気なうちに世話をしておこうという気持ちが自然にありました。

 私は入って三ヶ月ほどしてひどい発熱に見舞われました。そのとき診察を受けた先生がマスク、帽子、白衣で性別がわからなかったのですが、聴診器を胸に当て、私の肩から両腕を押さえて、「あー、あー、あーと続けて声を出してください」という独特の診察法でした。私は肋膜炎と思ったのですが、先生の診断は「気管支炎」でした。立ち居振る舞い、物言いが「男まさり」のこの医師が小川正子先生でした。

 小川先生は、敬愛する光田先生の指示で、患者の診察と収容を目的に四国の山間まで旅して回っていました。その記録とつれづれの歌をまとめた作品が『小島の春』です。『小島の春』は昭和13年、14年と2年続けてベストセラーになり、翌15年には映画化されて、大好評を博しました。ハンセン病の悲哀、とくに家族の絆を世間に訴えて、長島愛生園を有名にした作品です。架橋運動で来園された何人もの厚生大臣も、「私も学生時代に『小島の春』を読んで一度訪ねてみたいと思っていましたが、こんな形ではなく早く橋を渡って来たいと念願しています」と挨拶されました。

 また、すでに失明しておられましたが、明石海人の歌集『白描』の刊行もこの頃で、歌集としては破格の25万部が売れたとのことです。文芸活動は入所者の精神的怠惰を防ぎ、園内の精神作興に役立つとして施設側もたいへん奨励していました。


2030年 農業の旅→ranking


このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム