あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  玉木愛子さん(4)




蝉に暮れ蝉に明けゆく山の宿




春の海一波毎に
けてゆく




はろかなる漁船動かず夏の月




逢へば泣く母とならびて朝寝かな




故郷の柿ころがして話しをり




夏の月花なき庭を照らしけり




野分めく風に
糸瓜へちまのながみじか




咳入りて背撫でくるる娘も
めしい






妹もまだ嫁がぬ便り灯蛾にきく




盲にも花が見えそな春の風




玉木愛子(玉置愛子)さんの略歴
明治20年大阪の島の内で材木問屋の長女に生まれる。4歳のとき麻疹に罹る。7歳の春左足に水疱ができたのがハンセン病最初の兆候。14歳女学校1年の秋、身体検査で校医に疑いをかけられ蟄居生活に入る。18歳、父が旅先で客死。病勢が進むうち妹に縁談があり、離郷を決意。新聞で熊本回春病院を知りリデル女史に手紙を送り入院が決まる。大正8年回春病院入院。大正10年受洗。昭和4年右足切断。昭和6年の暮れ義足ができ歩行を始めるが足に炎症を起こし臥床の身となる。同年、ハンナ・リデル逝去。昭和8年12月長島愛生園に転園。昭和10年5月常盤寮が建ち転居。牧紫水(玲二)と結婚。昭和12年10月失明。29年、句文集『真夏の祈り』出版。33年一力五郎賞受賞。38年以後故郷との音信絶える。昭和44年3月26日、逝去。8月、絶信していた愛子の従兄と連絡がつき、夫玲二が祭壇の父母と妹たちに愛子の死を報告。「両眼なく、脚なく手もかなわぬ身を瀬戸の小島に賛美の歌もて明け暮れた」玉木。彼女が没する2年前の42年愛生園を訪ねた大濱亮一は「眼帯をかけ萎えた手を膝において縁端に坐した80歳の彼女の声の何と若々しく明るかったことか」と故人を偲んでいる。「日時計」(昭和9年)に採録。個人句集『真夏の祈り』(昭和30年)『この命ある限り』(昭和59年)『天の階』(昭和46年)『わがいのちわがうた』(昭和62年)。


2030年 農業の旅→ranking

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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