あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  依田照彦さん(5)



委員会分科会世話人会とつづきつつ今日はしづかに歌会にをりぬ




病む記録たたかふ記録身に刻み国の処遇のまにまに貧し




截り割きし吾のはいづこうづたかきギブス捨場に雨後の日あたる




手術あとの足怖れつつ確めつつ石段八百登りつめたり




武蔵野の土を包みて送りくれしやさしかりしを春来れば恋ふ




開園四十周年は吾が闘病の四十年何を求めて生きてきたりし




この園に十二の療舎移り住みなほ明日の我が住定まらぬ




今朝の霧にパン牛乳船も着かぬといふ島の不便は唐突に来る




消極に傾く日日を思へども致し方なき老のきざしか




礼拝堂炎上
蜂起せし彼の日とどむる血判状自治のゆるみの火に失ひぬ




絶詠
痛覚の失せし指より血の噴くを生けるしるしと見つめてゐたり




一日の動き支へし足伸べてほてれる肌の繃帯を解く



依田照彦(横内武山)さんの略歴
大正元年香川県生まれ。父を早く失い母とともに生活の苦労をする。姉1人妹2人の4人兄弟。昭和6年5月27日開園間もない長島愛生園に入園。数年にして軽快退所し、大阪で働く。姉の婚家に身を寄せていた母を引き取り、妹2人も自分の手で嫁がせる。昭和15年再入園。学園教師、長島気象観測所の作業に従事。昭和17年「アララギ」入会。不自由舎に移ったのちは、性格的に不向きと見られた自治会活動にも関与、社会党員として政治活動に参加。一時、植物採集に懲り長島の植物を余すところなく採集したこともある。昭和46年11月26日脳出血で急逝。『島の角笛』(昭和8年)『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』昭和27年『あらくさ』『陸の中の島』(1956年)『あかつち』(昭和31年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『三つの門』(昭和45年)『依田照彦歌集』(昭和47年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『楓陰集』(昭和12年)



「真実をさぐる思ひに舌当つる基本点字の金板の冷え」という短歌が心臓に突き刺さった。

千葉修さんと同じ大正元年の生まれであり、依田さんの後の気象観測を千葉修さんが引き継いだ。そして、社会党員として大村堯さん(社会党長島愛生園支部長)とも深いつながりがあったのだろう


2030年 農業の旅→ranking
このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム