あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  千葉 修さん



長島八景

三 立花落鴨

(3ページです)

 野分だつ風が長島を吹きそめるようになると、そろそろ鴨の群が渡って来る。私の観測日誌には、たいてい十月も二十日を過ぎる頃に、決まって鴨の渡来を記録してある。私が島へ来た年、初めて見る鴨の群れに愕いて、案外無関心なまでに平気でいる友を呼んだことがあったが、その美しい感動は、十五年も経った今に尚忘れることができない。だから、十月ともなれば、朝々、落着いては居られず、入江の白い海面を見詰め、空を渡る一群の羽音の騒音を期待しながら、耳を澄ましているのである。こうして、やっと飛来して来た鴨の群が、恰も散開したような陣形で、白い海面に一条の黒線となって拡がっている態は、誠に爽快そのものである。そして、遠巻きの陣形からじりじりと餌を追いつつ、一条の黒線が縮まり、また延びる動きを見るのも、なかなか興趣が尽きない。
 私は、昭和十六年の頃からこの鴨の群落を歌に描写すべく、よく光ヶ丘に出かけて行った。そして、二十首から三十首もの連作を試みたが、毎年々々、成功しなかった。小川正子先生に落鴨の歌の佳いのがあるよ、と宮川先生が話されていたのも、ちょうどその頃であったろうか。それで、いやが上にも私の鴨への愛着はつのるばかりだったが、未だに心底に躍動するままの生々しい表出ができないでいる。あまりにも美しい感動に、筆力が負けつづけているのだ。
 その頃、私は果樹園通いの作業を数年続けていた。手漕ぎの舟で食糧を運んだり、その他の通信一切をやっていたが、秋ともなれば、日々、余りにも目近く鴨の群を見て、独り海上で恍惚とした。鴨の習性やら動態を細かに観察する機会を存分に得た。わざわざ舟を迂回させて鴨の群に近づいたりした。そのたびに、臆病な一羽がいち早くパッと白い水面を蹴って舞い上がると、次々に糸を引いたように舞い上がって行った。そしてその群は、決まって私の頭上を鋭く羽搏きながら横ぎって行った。羽を一杯拡げて頭上を横ぎる群は、さながら開ききった白い十字花の群落だった。逆光の中を徐々に遠のいて行くこの十字花の一群が、いっせいに方向を変える時には、何か屏風絵でもめくるように急に白く輝いた。私は、この美しい群落の移動に目を瞠りながら、急ぎの櫓さえ忘れて、忘我の境に遊んだ。しかし、満足のゆく歌は、ついに生まれずじまいなのである。
 立花のこの入海に鴨猟解禁の日が来て、海上の其処此処に、鳩小舎のような見張小屋が建ち、朝は未明から猟銃の音が島に谺すると、この悠長で絵画的な鴨の群の移動も、何かあわただしく、すっかり詩情を喪失してしまう。そして、一羽又一羽、手負いの鴨が冬潮の荒れつづく海上に点々と浮遊しているのが、何とも、あわれでならない。このあわれを年々見せつけられている故か、年とともに鴨の群が減って来たのではないかという気がする。素晴らしい落鴨の展開も昔ほどは見られなくなったように思う。と感じるのは、やはり、いよいよつのりくる鴨への愛情の現れなのであろうか。
 白い入江の海に、音もなく矢継早に、パッパッと落ち行きながら、一条の黒線となって行く鴨、あの匂うばかりの十字花群の飛翔、ああ、その実態に勝る歌は私には作れないのだろうか。
 舟を漕ぎ寄せて落鴨をじかに見る機会が今はないが、立花の海の群鴨よ、秋風とともに飛来して、朝の島空を勢いよく羽搏き、ともすれば衰えがちな私の詩情を、絶えず燃やしてくれ、と祈るや切である。



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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