あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  近藤宏一さん


故三好ひろし君を偲んで
 
 去る八月二十一日、四十九歳の生涯を閉じた三好ひろし君は、全盲連本部が昭和三十一年に、邑久盲人会から長島盲人会に移された時、その組織を改正して事務局長に推され、昭和三十八年には当盲人会会長に選ばれる等、数多くの役職を通じて持前の手腕を発揮したのでしたが、彼が最も心の拠り所としたのは、やはり青い鳥楽団そのものであったと私は思います。青い鳥楽団が、昭和四十七年五月二十九日大阪道頓堀の朝日坐に於いて、演奏会を開いて頂いた際、その主催者である念ずれば花開く会(北野資子様)のサイン帳に「演奏している時だけ生命の灯が燃えるのです」と記した彼の言葉が象徴しているように、彼は楽団創立以来二十有余年、あらゆる困難を越えて、これに全精力を傾けました。少年時代に発病し、手足に重い障害を持つ身で島の療養所に送り込まれ、すぐに肉親からの音信が絶え、数年後には失明するという暗い過去だけをもつ彼であるというのに、その強固な意志と豊かな感受性とは、いつどこで培われたのでしょうか。

 私は楽団を編成するにあたって、彼を第一ソプラノハーモニカに編入しました。彼は楽譜を読むことができないので、私が直接口伝えをしたり、テープで覚えたりします。しかしこうしたことによる不自由さを感じさせないばかりか、一晩のうちに五十小節から六十小節ほどを完全に覚え込むという優れた記憶力をみせて、しばしば私を驚かせるのでした。ある時そのことを尋ねてみると「ぼくの覚えるドレミの波には色彩があるんだ。ドは赤、レは黄、ミは青という具合にね・・・」と言うのです。また彼は十六音符や三十二音符のこまかいメロディーを澱みなく吹きこなし、ハーモニカに似合わない音量を響かせました。楽団の中では恐らく最も不自由度の高い彼が、運営面に於いても常に積極的でしたので、私は彼に終始第一ソプラノのコンサートマスターの地位を惜しみなく受持ってもらいました。しかしそんな彼にも、どうしようもない弱点がありました。唇や両手を冒されている彼は、半音符ハーモニカを吹くことができないので、復音ハーモニカを用いていたのです。歌謡曲や童謡のような簡単なメロディーであれば、何とか工夫することも出来るのですが、クラシックの小品を手がけようとすると、どうにもなりません。私は彼の優れた技術を、何とかして半音の領域にまで拡げたいと思い、様々な方法を試みた結果、漸く出来上がったのが「ハーモニカ組立器」だったのです。それは四挺から六挺ほどのハーモニカを、直径十センチメートル余りの板で左右から挟みつけ、中心にボルトを通して両端から蝶ねじで締めつけ、それぞれのハーモニカを形よく固定させるというものです。この場合演奏する曲目の原調の他に、転調した場合の調子、半音の位置などを考えた上、適当な復音ハーモニカを組立ます。そして演奏する時には左右の往復運動だけではなく、上下にもハーモニカを吹き換えてゆきます。はじめ彼は苦労したようです。自由にならない肉体の欠陥を、どれ程歯がゆく思ったことでしょう。やがて私の期待にこたえて、彼が見事にやってのけたときの感動は今も忘れることができません。楽団のレパートリーが急速に増えていったのもこの時からでした。

 大阪、京都、名古屋、東京などで演奏会を開いた時、取材に来たテレビカメラが必ずといってよいほど彼をとらえたのです。そんな彼の姿が、説明なしに人々を感動させるというのです。体重四十キロ足らず、吹けば飛ぶような体を上下左右に揺さぶりながら、リズムに合わせて全身で演奏する。音楽の中に自己を没入させるというのか、自己の中に音楽を引き入れるというのか、とにかく彼とこれとは一つにとけ合っていて「演奏している時だけ生命の灯が燃えるのです」という彼の言葉が、そのまま真実の姿でもあった訳です。私は楽団をつくって本当によかったと思っています。彼をはじめ多くの楽団員たちが、悲しみの過去を喜びのページに書きかえたことを信じるからです。今はこの感慨を彼に伝えるすべを持ちません。「ご苦労様でした」とひとりで声にしてみると、晴れ渡った晩秋の空の向うから、懐かしい彼のハーモニカの音が聞こえてくるではありませんか。寂しいのは私一人でしょうか。

(「点字愛生」第85号 1978年2月)



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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