あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  近藤宏一さん


信念のままに 本田勝武氏を偲んで

 
 去る三月十二日、本田さんは五十年の生涯の呼吸を閉じた。心臓発作・・・。それはあまりにも突然の出来事であったから、彼を知る者はひとしく驚きの眼を見はった。実はその前日、私は本田さんと共に、ある会議を開き、園内の当面する医療問題及び不自由舎棟整備計画について真剣な討論の場をもった。いつもの事ながら極めて積極的な論理を展開する本田さんを中心にして私達は、文字通り口角泡をとばして議論したのだが、なかでも今年に入ってから死亡者が既に十一名にも達しているという事実に、本田さんは熱心な意見を吐いた。約七十日の間に十一名という死亡者は、どのように考えても私達患者にとっては前途に不安をもたらす出来事に違いないが、それを憂えてやまなかった本田さんがその翌日、十二人目の帰らぬ人になろうとは。
 私が本田さんを始めて知ったのは、昭和二十年終戦の年であった。二人は当時共に元気であったから、同じ部屋に住む者同士でありながら、作業場の関係で膝を交えて話す機会などはほとんどなかった。まして長い戦時下にあってあらゆる物資が欠乏していたので本田さんも私も山の畑を開墾し、その耕作にも忙殺されていたのであった。本田さんは時々夜遅く部屋へ帰り、疲れた表情のまま寝床へもぐりこむ事が多かった。たずねてみると、彼の属している塗工部が大きな仕事を抱えていて、手を休める事が出来ないというのだ。或る日の夕方私はそれを見た。彼の作業場の前を或る用事で通り過ぎようとした私は、小さな窓から洩れるほの暗い裸電球の光にふと足をとめ中を覗き込んだ。セメントや石灰の袋や、様々な形のコテやフルイなどが雑然と散らばっているなかで、小さくうずくまりながら忙しく働いている彼がいたのだ。「頑張っているなあー」「いやー」と何気なく振り返った彼の顔を見て私は愕然としたのだ。ぎらぎら光る彼の眼は、両眼とも真赤に充血しているのだ。本田さんは既にその頃から眼をわずらいはじめていたのだが、仕事に対する彼の責任感が、その痛みと苦しみを超えていたのであった。本田さんとはそんな人なのである。

 その後十数年を経て後、共に瞳を奪われた私たちは盲人会の放送企画部で顔を合せた。盲人会の広報活動の全て、園外との交流、声の図書充実などそれは盲人会の発展の歩みを支えてやまないものであり、その功績は大きい。特に思い出深い事柄としては、精神科医師神谷美恵子先生に託した、アメリカのらい療養所カービルへの声の便りを録音した時のことであった。日本の療養所を、カービルの人々へどのように紹介したよいか。結局相談の上、本田さんは重い録音機を提げ、マイクを持ち、園内のあらゆる風物と作業場を録音して廻ったのである。光ヶ丘の晩鐘、森の小鳥の囀り、海に出ては波の音、船のエンジン、養豚場のエサをあさるなき声や鶏の声は、アメリカの人々にどのようにひびいたであろうか。録音構成は青い鳥楽団の演奏を中心にして編集し、案内の言葉や声の便りは、神谷先生の素晴らしい通訳によって解説された。いうなれば日本のらい療養所を代表するほどの大切な声の便りであるから、本田さんのこれにかける意気込みは大変なもので、最後の録音を仕上げた夜などは既に十二時を過ぎ、全く疲れを知らず時を忘れてこれに打ちこんでいたのであった。帰国後神谷先生のお話によればカービルの諸先生方、多勢の患者の歓迎式でこの録音テープが流され大変感動されたとの事であり「ほんとうに面目をほどこしたのですよ」という神谷先生の言葉を聞いた時、私も本田さんもこれにかけた労苦の全てはこの一言で報いられたと思った。

 本田さんの盲人会に尽くした功績の足あとは無数にある。六百回を越えた園内放送の盲人会便り、千数百巻に及ぶ声の図書、彼が自ら手植した園内各所の盲導並木、それに長年患者自治会役員として最も意を注いで努力した不自由者棟の新しい甍の波、それらの一つ一つは、信念の人本田さんの汗の結晶でなくて何であろうか。人生の価値はその長さではなく、その密度にある。五十年とはまことに短い限りであり、惜しみても余りあるものだが、私も同じ病を養う一人として自分の生涯を彼の如く、自分の信念のままに生き抜きたいと願っている。

(「点字愛生」第66号 1972年6月)



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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