不覚にも指つめし傷の夜にうづくわれに絡まる憎しみのごと
証明書つぶさに見せて暁闇の海渡しもらふ逃るるごとく
さまざまに美しき人の乗り降りするバスの坐席に身は堅くゐる
こほろぎの部屋なかに鳴きうらがなし老躯屈葬のさまにて眠る
子のあらば一つ求めむにとんとことん太鼓を打てる
わが家族H病に離散し父の墓、母の墓すら在りどを聞かず
手術せし眼にレンズ当てペン書きの友の便り読めるよめるよめるよ
室町史朗生きてありせば吾が歌のまづさを時に言ひくるるものを
つくつく法師かなしく鳴けるこの道の冥府になるまで歩む外なし
予防法解け潮にのまれし幾百の友のみたまを慰ぶす記念碑
永井静夫さんの略歴
明治39年大阪生まれ。家庭の事情で小学校3年で退学。職人として働くうち17歳ころ発病。大正11年外島保養院入院。昭和9年室戸台風で外島壊滅。栗生楽泉園に委託収容。昭和13年邑久光明園に帰る。その間2度結婚。短歌は昭和9年頃からはじめ「いぶき」「短歌」所属。平成10年3月19日逝去。享年93。『光明苑』(昭和28年)『海中石』(昭和31年)『三つの門』(昭和45年)『陸の中の島』(1956年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『冬風の島』(平成12年)