あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大阪 ぶらぶら歩き



1泊2日で大阪へ行ってきた。

高速バスを利用して大阪難波の湊町OCATのバスターミナルで降り、ナンバウオークの地下道を15~20分ほど歩くと日本橋駅につく。その5番出口から地上に上ると、すぐ「黒門市場」が見える。ホテルはその黒門市場の道を隔てた対面にある。

シニア割引を活用し、バイキングの朝食付きで5900円のそのホテルを拠点に、3~4分ほど歩けば、道頓堀、心斎橋がある。

ホテルに荷物を置いて、日本橋から近鉄電車に乗り布施駅で降りると、そこは40年ほど前の自分の生活圏である。布施駅周辺をぐるぐる歩き、ポッポアベニューを通って永和駅前まで2キロほど歩くと、昔住んでいたアパートがある。もちろんアパートも周辺も風景は一変している。

近鉄永和駅のそばにJRの河内永和駅があり、そこから2駅で「放出(ハナテンと読む)」に着く。そして駅前の「みゆき通り」という商店街を抜けると、その昔、勤めていた会社の寮があったが、その周辺も変ってしまって、寮の場所を結局、探し当てることはできなかった。


いったん日本橋に戻り、地下鉄堺筋線の北千里行きに乗り、豊津駅で降り、川沿いに2キロほど歩き、名神高速のガード下を抜けると、44年ほど前に住んでいた下宿屋がある。このあたりは全く変わってしまって、まさに浦島太郎の面持ちになった。それでもあたりを歩き回って、確かこの辺だっと目星を付けたところは、近代的なマンションに変っていた。このあたりの小高い丘陵は4~5階の学生マンションが乱立していた。

住んでいた下宿屋のすぐ上に、下宿屋のおばさんの墓があると聞いていたので探したら、平成9年1月1日没、七十八才という墓石を見つけた。本当にお世話になったのに、卒業以来40年余りご無沙汰していた非礼をわびた。


この40年ほど、あまり平穏な人生でもなく、足が向かなかった。農業を始めた5年後の42才の頃に、ワンパック宅配の営業ビラを配りに1度大阪(布施駅周辺)へ行った後は、去年の今頃行ったのが2回目で、今回が3回目だった。


昨日は吹田市上山手町の下宿屋周辺を歩き、下宿屋から300メートルほどの場所にある裏門の急坂を通って学内に入り、学食を食べた。今日もう一度行って、今度は学内を歩いた。

豊津駅から電車に乗って日本橋に戻り、また布施に行って、もう一度布施周辺を歩き回った(卒業後最初に勤めた会社がこの近くにあった)。


7年ほど暮らした大阪だったが、まるで浮草のような暮らしだったし、行動範囲(生活圏)も極めて限定的で、「いったい何をしていたのか」と今更ながら思う。


地元に返ってからも転職の繰り返しになった。36才の時に農業に転身(それができる環境にあった)してからは少し落ち着いたが、日々の生活と農業に追われ続けた。


まもなく64才になる。今までにしてきた事の中から、今後の自分の方向を見つけるしかない。それは還暦が過ぎてから偶然に出会ったハンセン病文学になるだろう。

家から30分ほどの場所(島)に、2つのハンセン病療養所があると言っても、30~50代は全く無関心だった。10年前に始めたブログのネタ目的で、年に2回ほど、風景を写しに行っていただけだった。その風景写真を、「石田雅男さん」という入所者の「講演ポスター」に使わせてほしいと、明石市の人権推進課の職員から電話があった時、「これは自分に縁がある」と痛烈に感じた。

それでもその時には動けず、3年ほど胸中にとどめていた。その講演者を訪ねて、長島愛生園入所者自治会の事務所に行ったのは、61才になる直前だった。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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