あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  瀬田 洋さん


歩く
 
やがて木枯が吹き荒んで

大地が凍てついて

病み古りたこの躰では

とても歩けないで あろうから

歩ける中に歩いて おこうと

義足の足は哀しく

その音はさびしいけれど

歩けることはやはり嬉しいので

並木道を 田圃の畦を

豚舎を 牛舎を 鶏舎を

ほっつき歩いて すっかりくたびれて

堤の芝生の上に躰を投げ出すと

高い煙突の向うには

幽い山脈のような積雲が漂い

その奥から 誰かが 面をのぞけて

悔のないように

歩ける中に歩いておけと

なにか気味悪い声で呼びかけるので

よろめく体を杖に支えて起ち上り

義足を鳴らして

私はまた歩き出す









外科室にて


ここでは

天国と地獄が

いみじくも解け合い

ひそやかに息づく

互に和み合っていた


もはや

どの様な希望も夢も

芽生えそうもないものにも

ここではなおも望みをつなぎ

ピンセット ゾンディ メスと

器具のかち合う音は冷くとも

それらを通して交う体温は

ほんのりこの部屋を温めた

ああ・・・

ひしめき 並ぶ

柘榴ざくろの様な口をあけた

垢まみれの醜怪に歪んだ手と足

灰色に

褪せ 萎び 腫れた貌 々々

・・・・・・・・

臆せず たじろがず

胸に十字を切りつつそれに立ち向い

時に白い指先が血膿に染っても

ほのかな微笑に拭いとる 人の姿よ

ここは地獄 修羅の巷

こここそ天国 パラダイスの都か


冷たいタイルの床には

どす黝い血糊がのたうち

膿汁の浸みた繃帯が這い廻っても

見よ!

玻璃戸近くの小棚の上では

いつか春めいた光を浴びて

一握の草花が

紅く 黄色く

ゆれているのではないか


瀬田洋(村田義人)さんの略歴
生年不詳。山口県の生まれ。農業学校を卒業、その後大島療養所に入所、1941年頃光明園に転園。小説に「葦」がある。1950年8月3日、35歳で死去。
 

あなたの死を橋本正樹さんが「荒廃の花園━━故 瀬田洋兄追悼」という詩にして悲しんだ。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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