あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  藤本トシさん



くだける


藤本さんは食べること一つとっても、こんなに大変なんだ。状況が手にとるようにわかる感動的な小品です。



 私が一番困ることは、と言うより避けようと心をつかっていたのは、よその部屋で食べものをいただくことである。
 我が家では当然のような顔をして湯呑の中のお茶の熱度を舌先で確かめたり、お小皿のこんぺい糖や栗ボーロを、これも一つ一つ舌先で巻きあげ、もののみごとに平らげてしまうのだが、よその部屋ではそうはいかない。いくら不自由は周知であっても、これではあまり不作法である。それに自分自身も情ない。
 そこでやむなく手を出すことになるのだが、これが実に辛いのである。てのひらだけの手が恥ずかしいからではない。あまりに麻痺ぶかいために、たいていの場合、粗相するからである。お菓子ならまだしも、お湯呑を転がして、そこら一面お茶だらけにした時などは身が縮む。これを思うと大好物のお寿司やみたらし団子があったとしても咽喉から手はけっして出ない。
 理由はもう一つある。
 私は失眼して間のないころ、軽症寮の友を訪ねたことがあった。すすめられたお茶をこぼさぬように、こわごわすすっていると、友がこう言ったのである。
 「あんたの好きな焙豆がな。すこしばかりあるのや。さあ・・・手を出しなはれ」
 私は喜んでその言葉にしたがった。すると、
 「あれまあ、両手を出すほどありゃへんがな・・・」
 と苦笑しているらしい声がいきなり私の胸を射た。
 ・・・・・・・・・・・・
 「なに言ってんのよ。どんなにすこしでも私のお手皿は小さいから、二つ並べなきゃこぼれるわよ。眼で梶はとれませんからね」
 今なら平然とこう言ってのけたであろうに、そのときは新米盲のかなしさで、心はまともに傷ついてしまったのである。
 私が他室で物をいただかなくなったのは、この時からである。ところが今日、思いがけなく、そのかたくなが大痛棒をうけた。こうである。
 桜がチラホラ咲き始めたというのに、まだ肌寒い海かぜの中を、私はチエさんの寮に向かって歩いていった。縫い物を頼むためである。吠えながら犬がやってきて私を越して左へ曲がった。私はゆっくり反対の方向に杖をまわした。そのとき、
 「やあやあ、しゃもじが招いてくれたよ」
 と声がした。チエさんである。どうやら庭にいたらしい。チエさんはけげんな顔の私の前で一気に喋りはじめたのである。
 「今日はこの部屋でなあ、親たちの年忌を勤めて貰ったのや。牡丹餅をたんと作ってよう。詣ってくれた人達にふるまったところや。今みんな帰ったので、あんたにも食べさせたいと思うたけど、あとかたづけが大変やろう、あんたの方から来てくれたらなあ・・・と思っていたところや。
 うちのほうではな、こんなときその人がひょっこり来ると、しゃもじが招いたと言うのや」
 私はいつものように、
 「困ったー」
 と思った。何とかしてこのご馳走をさけねばと苦慮しはじめたのである。
 そこで、コーヒーを飲んできたばかりなので満腹だと言ってみた。用事があるのですぐ帰るとも、奥歯がうずくとも言ったのである。けれどチエさんは、
 「今日はとくべつの日だから一つだけでも食べておくれ」
 ときかないのである。私はとうとう根負けして、
 「では本当に一つだけよ」
 ということになってしまった。
 たちまち牡丹餅があらわれた。じつは大好物のそれである。チエさんはゴム紐で、私のてのひらにしっかりさじをくくってくれた。古里から送られてきたという糯米と小豆のなつかしい匂いが私の五臓をかけめぐる。
 ひと口いただいてみると、まったく美味しい。内心ほくほく、ふたたびさじをおろそうとしたとき玄関で大きな声がした。
 「こんちわー、いるかなー」
 杉山さんである。彼もやっぱりしゃもじに招かれて来たらしい。やがて、彼の前にも牡丹餅が運ばれた。この人も盲目なので、チエさんが持たせてあげた箸でコツコツと器をたたいて、そのありかを教えている。
 「あっ・・・こりゃうめえ、とってもうめえぞ」
 杉山さんのしんからうれしそうな声が私の耳を打ったとき、私は一つを食べ終えた。そこへチエさんが来て、
「さあさあ・・・もっと食べや、追加をたんと持ってきたぜ」
 と言った。杉山さんはさらに歓声をあげてこれに応じたのである。チエさんは私にも声をかけた。
 「さあ、あんたも食べた食べた」
 「じゃあ、もう一つ」
 私はうっかり言ってしまった。その背にぴしりー、平手がとんできたのである。
 「あんたは、うちに来てまで遠慮してー、ほんまに阿呆やー」
 と言葉がつづいた。
 お腹いっぱい食べ終わった私の顔は、濡れタオルできれいに拭きとられた。手も同様に掃除されたのである。私の目はこのとき覚めた。長いあいだ人々の愛情をふみにじっていたことが悔いられた。人と場所とを分別する心を私に残して、狭心はくだけていったのである。



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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