あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  藤本トシさん



福音


藤本さんは1987年、87歳まで生きられた。所要時間6~7分です。


 「このたび大阪府のご斡旋によりまして、かつら
を作っていただけることになりました。まだ確かなひにちはわかりませんが、そのうちに美容師がみえてくわしい事を教えてくださるそうです。それでご希望のかたは・・・」
 園内マイクから流れでる言葉に、私は驚きの耳を立てていた。変ったものである。嬉しい時代になったものである。今はお洒落用の鬘が色々あって、ふいに外出する場合これを用いると、たちまち好みの美髪になるということは聞いて知ってはいたのだが、私は愚かにも、この事実を瀬戸の小島に直結させて考えたことはなかったのである。
 むろんここにもお洒落の物を望む人達はいるであろう。が、しかし、それとは比較にならぬほど、痛切に毛髪を恋う多くの人々もいるはずである。せっかく菌マイナスになっても、脱毛の後遺症はなんともいたしかたがないからである。したがって、「髪がほしい!」との切なる願いは決して女ばかりのものではないのだ。
 「俺が帰省した時はとてもむし暑くてな、車内で帽子をかむっているのは俺のほかに誰ひとりいなかったぜ。だが俺は禿を丸出しすることもできず、長いあいだ暑いのをじっと我慢していたんだが、そのうちに頭がカッカとしてきてな・・・。下車するときには酔いどれのようにふらふらして、足が地につかなかったぜ」
 これは男性から聞いた話の一例だが、これに類した嘆きは男の側にも数かぎりなくあるのである。
 かつて、といってもだいぶ昔のことだが、私の部屋に六十二、三の老婆が収容されて入ってきた。この人は、部屋の者に初対面の挨拶をするときでも姉さん冠りを取らなかったのである。が、みんな心得たもので、痛いところはけっして触れようとはしなかったのである。こうして問わず語らず、数年が過ぎた。その間三日に一度ぐらいの割合でつむりの手拭は取りかえられたが、真夜中にでもするのであろうか、部屋人の留守の間にこっそりやるのか、取りかえるところを誰一人見た者はなかったのである。そのうちお婆ちゃんの手はしだいに曲がり、麻痺はいよいよ深くなってしまったのである。
 このお婆ちゃんがある日、頭が痛いといって用達先からよろよろと帰ってきた。あわてて敷いてあげた床にもぐり込んだが、だいぶ熱があるらしく布団が小刻みに慄えている。病者にはありがちなことだが、しかしお婆ちゃんの場合はなんとなく変なのである。そのころ晴眼だった私は、医局に走った。さいわい先生はすぐに来てくださったのである。その前で恐縮しているお婆ちゃんのつむりには、あの姉さん冠りがいつものようにしがみついていた。
 「手足に傷は無し、内臓にも異常はないし、どこからの熱かな・・・。ともかく薬をあげるからね、それを服んでも治らなかったらまた来てください」
 先生はこう言って帰って行かれた。
 そのあとで部屋の者たちは言い合わせたように、頭をかかえて涙ぐんでいるお婆ちゃんの側に寄ったのである。もしやそこに、たちの悪いおできでも出来ているのじゃあるまいか━━、と懸念したからである。
 「お婆ちゃん、みんな同じ病気やないか。かまうかいな・・・、一度頭を見せてごらん」
 総がかりでなだめすかして、どうにかお婆ちゃんを納得させるまでには、かなりの時間がかかってしまった。
 お婆ちゃんがうなずくのを見ると。すぐ一人はうしろへまわった。御意の変わらぬうちである。この友は、姉さん冠りの端が止めてある針をてばやく抜こうとしたのだ。が、急に顔をこわばらせて、
 「抜けんわ!」
 っとうわずった声を出したのである。お婆ちゃんは耐えかねたようにうめく。私は再び医局へ走った。こんどは外科である。
 結果は、お婆ちゃんは手がめっきり悪くなったので、持ちやすい極太の針をつかっていたのだが、その大きな夜具とじ針で、手拭を頭にずぶりと深く縫い付けていたのであった。しかもそれは数日前のことなので、化膿しかけたために激しい頭痛と悪寒におそわれたのである。私はぞっとした。言いようのない恐れが身うちを駈けた。他人事ではないのである。
 「ここまで、頭も手も・・・しびれてしまうもんかいなあ・・・」
 お婆ちゃんはおろおろとして泣いた。長い年月衆目から守りつづけてきたつむりを、もはや隠すてだては無くなってしまったのである。深い嘆きは怒りにも似て、お婆ちゃんは青ざめたままその日一日誰とも口をきかなかった。
 しかしこの人は、さすがに老い人であった。だてに齢をとってはいなかった。日を経て諦めがつくと、とたんにさっぱりして、
 「よいとよんやまか・・・どっこいさの・・・せ・・・」
 などと威勢よく、電灯にてらてら頭をかがやかせながら、大きな輪の中で盆踊りを始めるほどになった。
 精巧な鬘を作ってくださるというこの放送が、もしも墓石の下まで通ったら、お婆ちゃんはどんな顔をするだろう。垂涎三尺、なんとも羨望にたえない眼を上げるであろうか。苦楽一如と悟入した顔をそむけて、ただふわふわと、煙草のけむりを輪に吹いているであろうか。それはともかく、若ければ若いほどこの放送は福音である。
 誰もがみな、艶やかな匂う黒髪となったら、今年許されている観光旅行はさだめし賑やかなことであろう。晴れやかに空を仰ぐ友らの顔を浮かべると、こちらの心も温かい。
 「おばさん、あしたあんたの番やぜ・・・都合はどうや・・・」
 マイクの前を去りもやらず、ぼんやりしている私の背後でパーマ主任の声がした。私は承知のむねを答えたのである。
 パーマをかける。わたしが・・・。だがこれは美容のためではない、といえば私も女である以上嘘になるかもしれない。しかし九分九厘までは、盲目のうえに指さえ失った者のせっぱ詰まった生活手段である。そこで髪はできるだけ短く切り、できるだけ縮ませて貰うことになる。こうすればおくれ毛が顔に散らないし、だいいち我が手でなんとかときつけることが出来るのである。隣の友の口ぐせを借りれば、おない年(我が身のこと)を使うほど気楽なことはないのだ。ところが、このような髪かたちの者を、陰ではお釈迦さまというそうな。けれど私は思う。結構なことだと。
 数十年も病み古る私だが、さいわいなことに今日まで髪については少しも苦労をしなかったのである。今もって毛髪だけは健在なのである。人並なのである。この歓びは大きい。これあるがために、お釈迦さまでも羅漢でも私は嬉々としてこの名をうけとめる。



2030年 農業の旅→ranking


このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム