あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  藤本トシさん


ある朝

原稿用紙でたった4枚ほどなのに、心にしみる。


 光、とりわけ太陽の光線はなんという美しさでありましょう。万象を失ってしまってから、私は初めてその真の美にふれた思いがするのです。いいえ、盲眼にすべての形が映らねばこそ、ただ一つのこった、わずかにはいる光線が私をこれほど歓喜させるのかも知れません。とはいえ衰えはてた網膜に感じる光は、波間を分けてさしのぼる朝日のそれではなく、空も下界もくれないに染めつつ悠然とかたむく落日のそれでもむろんないのです。しいていえば幻想的なものなのです。
 夜も昼も晴れ間のない深い霧の世界、しかしその眼が陽を捉えますと、光はたちまち金粉となって飛びかい、霧の中で上下左右にゆれるのです。まったく静かな、そしてきれいな舞踏です。私はこの踊子を透して、あるときは遠い過去の野川を見ます。ある時は、手塩にかけて咲かせた大輪のばらを憶い、またあるときはその日のさだめが緑かー白かー占うこともあるのです。
 私はけさ、その不思議な踊子と共に婦長碑のほとりへ行きました。そこには椿の木があるのです。
 そして西側の枝は、立っていて探るのにちょうどいいところに、二つのつぼみをもっているのです。この莟はときおり訪ねる私の口中で、太り育っていくいぶきを生き生きと吐いてくれるのです。
 今日はどのくらいになっているであろう・・・と楽しい杖はおのずからはずみます。ところが来てみると、二、三日小糠雨が降りつづいたためか、莟はすっかりふくらんでいて、もう私の口中には入りませんでした。というより舌に柔かい花びらが触れた瞬間、花に気の毒になってきて、探るのをやめたのです。けれどそのとき、掌中のものをふいに失ってしまったような、味気ないうつろさがちらっと顔をだしました。そのせいか、それともあいにく停電になって、めあての音が全部絶えたためか、戻りの杖はとかくつまずきがちで、どうにか大通りへは出たものの、寮からは離れているらしく、さっぱり見当がつきません。いくら耳をすましてもむだですし、撫でまわしてみても手は空間を泳ぐばかりで触れるものはありません。何もかもが、私だけを残して無限に遠ざかってしまったような感じです。
 こうなると足もとより心の方がよろよろと、みじめな歩行を続けていました。そのときです。とつぜんすばらしい声でカナリヤが囀りました。救いです。向こうにどこかの寮があるのです。
 「あそこまで行って誰かに道を教えて貰おう」
 私はほっとして肩で大きく息をしました。と、その目の前に、さんさんとあの光の浮遊があるのです。おそらくこれは不安のあいだは、見れども見えなかったのでありましょう。
 カナリヤがまた高音をはってくれました。これこそ虹の架け橋です。私はかるがると杖をもちなおし、別人の足どりで金の砂子を揺りながら、その架け橋を渡って行きました。

1962年(昭和37年)



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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