あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  藤本トシさん




とても面白い、そして悲しい。藤本トシさんは明石海人さんと同じく1901年(明治34年)の生まれだが、言葉づかいや仮名づかいがわかりやすく、古さが感じられない。5分で読める短文です。


私は幽霊を見た、確かに━━と言ったら人々はどんな顔をするであろう。鼻先にうすら笑いを浮かべて、じろり一瞥するかも知れない。ばかばかしいと、そっぽを向いてしまうかも知れない。しかし世の中には、理外の理ということもあるそうである。ともあれ私は、今もって解決の出来ない一つの謎を持っているのだ。

 私はレプラの暗黒時代であった大昔に、十九歳で発病した。そして翌年父を、更に半年後母をも亡ってしまったのである。今でもありありと胸に焼き付いているのは、毎日愁いに沈む娘をかかえて、嫂と世間に気兼をしていた痛々しい母のおもかげである。その母がある夜病床に私を呼んで、
 「お前のためにね・・・もう少し生きていたいと思うけれど・・・、私は精も根もつきてしまった。でも・・・死んだらきっとお前を迎えに来るよ。つらかろうが辛抱しておくれ。いいかい・・・かならず今年中には来るからね・・・」と言った。
 それからの私は、どんなにその日を待っていたことであろう。だが秋が去り、冬も去り、春さえも行こうとしているのに、いっこう母からの訪れはないのである。私はすっかり待ちくたびれてしまった。
 どこへ行っても、新米のうちは思うようにならないのが常である。とすると、母は亡者の新米だから、まだ自分の心のままにはならないのかも知れない。それなら、こっちから出かけて行くより仕方がないではないか、と思った。そう考えるとこの世にはさらさら未練のない私である。さっそく家出の準備にとりかかったことはいうまでもない。
 六月も半ばを過ぎたある日、私は我が家から五十里程離れた小田原のある淋しい海岸に佇んでいた。どんより曇ったたそがれの渚には、破れ舟が朽ちるにまかせて置かれていた。私はその破れ舟の陰に身を忍ばせるようにして、夜になるのを待っていた。昨夜は大磯で刑事につかまって未遂に終わった私である。今夜こそ暗くなったらすぐ身を投じて一散に母のもとへ行こうと、思い定めていたのである。見渡すかぎり人影ひとつないのが私の心を安くしていた。ところが暫くすると、さく、さくさくと足音が聞こえてきたのである。ぎょっとして眼を上げると、右手の高い土手から老婆がひとり、ひょこひょこ歩いて来るのである。私は顔を見られないように、何気ない風をよそおいながら老婆とは反対の方へ、くるりと向きを変えてしまった。にもかかわらず足音は私をめがけてやって来て、
 「ねえさん・・・わしは向こうの茶店の婆だがよう、さっきから見ていると、あんた何か心配ごとがありそうだなあ」と声をかけた。
 こまった━━と声ならぬ声でさけんで、私は狼狽をおしかくしながら黙っていた。と、老婆はしきりに私を見上げ見下ろしていたが、曲がった指に気付いたらしく、
 「可哀想に・・・。でもあんたのような病気は身延山にお籠りして、一心に信心すると治るよ。四、五日前にも山に三年お籠りしたという人が、すっかり綺麗になってうれしそうに帰っていったよ。だからあんたもお山へ登って信心してごらん。そしたら治るよ。きっと治るとも。行ってみなさいなー、なー」
 繰返し繰返しこう言ってすすめる老婆の言葉は、まったく熱意そのものであった。その心情にほだされたといおうか、私は老婆の言葉を丸呑みにしたわけではないのだが、固い死への決意がぐらり揺らいだことは確かだ。俗にいう死神が離れたとは、こうした場合のことであろう。私は老婆に連れられて彼女の家に行った。少しばかり駄菓子やラムネを並べた、ちっぽけな店である。
 太った女の子がちょこなんと坐っていた。老婆はその子に店を仕舞うように命じてから、私に小声で聞いた。
 「あんた腹がへってるだろう。お山までは遠いからな、麦飯だがうまい蕗の佃煮や鮒っ子の焼いたのがあるから、たんと食べていきな」
 私はこの時初めて、一日中何も口にしていなかったことを思い出した。だが喉がからからに渇いているだけで、どういうものか空腹感はなかった。私は、
 「この先の町で食事はすまして来ました」
と嘘を言ったのである。
 やがて老婆は提灯をつけて裏口から出てきた。駅まで行ってくれるつもりである。暮れきった空は今にも降り出しそうな気配であった。老婆はうなだれた私を従えて黙々と歩いていく。提灯に照らし出された道幅は、一間ぐらいあったであろうか。とにかく両側には篠竹を交えた雑草が生い茂り、道ぞいに野川が流れているらしく水の音が聞こえていた。
 駅まで五丁はないと聞いたのに、初めての、それも田舎の道はひどく遠い感じがするものである。私は疲れ呆けて、まだか・・・と思いながら歩をとめた。とたんに愕然としたのである。小腰を屈めて歩いていた老婆が、すらりと高い母の姿になっている。私は眼をうたがった。そしてその姿を凝視した。だがいくら眺めても寸分たがわぬ母である。私は慄える足をふみしめて提灯に近づき、そこから母を覗きこんだ。しかし老婆以外の顔はない。私は自嘲しつつ、すごすごうしろへ戻っていった。と━━そこにはまた紛れもない母がいる。私はあわてて再び前へ廻って見た。うしろへ帰って見た。だがこのうろたえた動作は驚きを倍加さすばかりだったのである。それきり私は、疲れも時間の経過もすっかり忘れてしまったのだ。
 こうして、母かー老婆かー二体が渾然一体となった人に導かれて、午後九時十分、わたしは列車の客となったのである。



2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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