あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

菊池恵楓園  島田尺草さん(10)




たはやすくもの言ふこともなくなりて吾の心はいよよ澄むなり




我がために血潮ゆづると四五人の友ら来りけり朝の寒きに




(若き歌友
伊藤保君病む)
君病みては手紙のこと誌のこと歌のこと誰に頼まむ吾また迷ふ




(以下、順序が逆になりましたが残りの短歌を紹介させて頂きます)
別れては何時また逢はむ人と居て庭の桜の散るを見て居り




(内田先生に)
永らへる命思へば世を頼み君を頼みて歌を学べり




(末妹逝く)
ゆらゆらとゆらぐ舟の上に立ちも得ずはしゃぎし妹を今日も偲べり




げんげ花摘む子にまじる妹の姿はついに見るべくもなし




久しきを語らざりけり国言葉あらはに言ひて見たき日のあり





そのかみの家に居し日は淋しけれ人にかくれて眉書きにける




梅の香をしづめて降れる雨脚のほそぼそと今朝は春めくをおぼゆ




島田尺草(大島数馬)さんの略歴
明治37年9月16日福岡県嘉穂郡に生まれる。16歳で発病し、薬を求めて各地を放浪。大正13年九州療養所入所。入所後、作歌を始め、昭和3年より歌誌「水嚢」に参加。昭和12年「水嚢」同人。長年「檜の影」編集に従事し自ら印刷工となって発行に尽くす。昭和8年失明。9年に気管切開。歌集『一握の藁』(昭和8年)『檪の花』(12年ともに水甕社)。昭和13年2月23日没。享年35。『檜の影』第2集(昭和4年)『檜の影の聖父』(昭和10年)『島田尺草全集』(昭和14年)『菴羅樹』(昭和26年)『三つの門』(昭和45年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)



島田尺草さんの晩年の作品が多く掲載されていた。老成を感じたが35才の若さで亡くなっている。プロミンが日本に広まるまで、まだ10年の歳月を待たなければならなかった昭和13年没。それでも、
言ひ残すべきこともほとほとあらざれば心は澄めりいまの現に

吾が意識つひにかそかになりしとき心にかかるものはなかりき

たはやすくもの言ふこともなくなりて吾の心はいよよ澄むなり

のように、自分の中で何かを成就した、崇高な精神性がうかがえる。


2030年 農業の旅→ranking


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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