あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  中山秋夫さん






人工石の打ち砕かれる

最後の鉄槌音が

僕等の耳もと間近で終り

すべての取りはずされ 取り払われた

空しい景色の中を

やがて一つずつ運ばれていく

自からの骨の触れ合うきしりに

僕等が再び目覚めるだろうか


まるで軽くなって

あんなに重くまつわられ

貧しかった生の日の哀しみを

骨に残した痛みを

そのときも持つであろうか

そうして

全く違ってしまっている周囲は

やがてそこにはっきりよみがえらされた

僕等を包んで

不思議な明るさに満ちているであろうか


かつての日の過ぎ去り

そこで僕等の耐えていた時間

ときに 差しむけられるいくばくかの善意にひたむく己れのすべてをすがらせ

それゆえに よろめき

あるいは立ち尽さんとして

その目まいの中で

つぎつぎに僕等は失われ

ここにある僕等の骨に

僕等のたたかいの既に終っていることを

誰れが ささやき知らしてくれるであろう


今日また僕はここへ来て

現に足を歩ませながら

雑草と呼ばれる名を持つ

その生よりもかなしく

僕等と共に僕等の中で亡びていく

この一代限りの生との約束について

愚な想いをめぐらすことがある


この僕等より先に

ここに在って

なんと地下に根を張るものの如く

空へそびえている頑丈なその骨堂か


中山秋夫さんの紹介は以上です。

中山秋夫さんは、

昭和14年 邑久光明園入所       19歳

昭和20年 結婚              25歳

昭和21年 妻死去             26歳

昭和25年 再婚              30歳

昭和38年 完全失明           43歳

昭和53年 妻死去            58歳

昭和64年 個人句集・親子独楽     69歳

平成10年 個人句集・一代樹の四季   79歳

平成13年 岡山原告団長として熊本地裁判決勝利 82歳

平成19年 死去                88歳


43歳から亡くなる88歳まで45年の盲目人生だった。

昭和9年に外島保養院が室戸台風で壊滅し、昭和13年に邑久光明園として復興された。その翌年に中山秋夫さんは入所されているので、まさに邑久光明園の生き字引と言える。詩集「光の杖」に代表される邑久光明園のそうそうたるメンバーとコラボしながら、「詩話会」や「歌会」で切磋琢磨されたのだろう。

文学や仲間に、支え、支えられて、45年にわたる盲目人生を生き抜いた。


最後にもう一度、中山秋夫さんの略歴を紹介します。

中山秋夫さんの略歴
静岡県西郷村の農家に生れる。父は旅回りの石工。秋夫5歳の時、父親がハンセン病を発症。6歳の時父は草津の患者部落に。家族は離散、秋夫は名古屋の今池小学校、さらに叔父を頼って釧路へ転校。小学校を出て4、5年目で身体の一部に知覚がないのを知る。昭和10年大阪大学病院でハンセン病患者であることが判明。同年父宇平が楽泉園で死亡。その後病気を隠しながら溶接工として働くが昭和14年19歳で邑久光明園に入所。20年秋、結婚。翌年断種手術を受けるが、同年、急性肺炎で妻が逝去。25年再婚。38年完全失明したため自己表現の道を詩から川柳へ。53年1月妻他界。その後の10年間の作品を集成し個人句集『親子独楽』(平成元年)。他に句集『一代樹の四季』(平成10年)。


第一句集『親子独楽』のあきらめにも似た境地から第二句集『一代樹の四季』は理不尽への怒りに転じているのがわかる。『一代樹の四季』冒頭の自序には題名の由来について次の記述がある。
 「一代樹。これは私たちがこの療養所で、自分一代限りで終っていく、との意である。
 長い療養生活の中で入所者同士の結婚もあった。だが療養者が子を産むことは許されなかった。結婚の条件として、否応なく優生手術がなされ、子供を産めなくされた夫婦。らい予防法は患者を保護するものではなかった。一貫して行われたのは患者を施設に入れることによる隔離撲滅。国民からの排除。一代樹とは、そうしたものの代名詞として使ったのである。90年という長い歴史の中で、その一代樹が入れ代わり、死に絶え、そして今、残された一握りの高齢者の群れとなった」

 中山秋夫は岡山原告団長として2001年(平成13年)5月の熊本地裁判決の勝利から和解、補償法成立に至る経緯を見とどけ、2007年(平成19年)12月、この世を去った。
(ハンセン病文学全集9 俳句・川柳)から抜粋。



2030年 農業の旅→ranking


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コメント

詩の紹介 どうも

月一回、赤磐市熊山松木の永瀬清子生家保存会の集まりで、長島愛生園のボランティアをされている方が、よく、清子が通っていた長島の人達の詩などを紹介して下さってます。

  • 2016/11/05(土) 09:21:21 |
  • URL |
  • 長澤 孝子 #-
  • [編集]

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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