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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  中山秋夫さん


記事の多くは「繰り返し」です。詩、短歌、俳句、随筆を繰返し、繰返し紹介するのが私のやり方です。大半は「ハンセン病文学全集」からピックアップしています。

右の帯の最下段にある「検索フォーム」欄に名前を入れると、すべての過去記事が出てきます。



責め

 
なぜだろう・・・そのなぜについてである

私が私自身を納得させるすべがない

暮らしてきた過去という その全てについて

確かに優しく舌ざわりのいい言葉

「救らい」という名の下に作り上げられた網の中で

私たちは生きてきた


古い話である

私の療養生活 その堆積を受けとめることにも慣らされ

魚たちが海の中で水の重さを感じないように

私たちは生きていた

らい予防法という網の中で

心まで麻痺させられた暮らし

それが何であったのか そのなぜについて


絹糸の肌ざわりのいい漁網のような

網元はいつもそれを口にしていた

ここはあなた達にとっての「王道楽土」

誰もがそうなろうと そうなることを信じた

世間で忌み嫌われる病 ペストのように
うつる恐ろしい・・・

勲章までもらった医者 その人が
のたまった

世間の人は当然のこと 政治もその言葉で動いた


全てのことが嘘であり大間違いであったことが

ようやく分かるまでの九十年

予防法が解けた

病者救済という立て前 偽りの保護

しかしそこに住み慣れた者には

取り囲んでいた網を外した作為

それに気付く力も無くしてしまった老齢化

何の隔てもない何処までも泳いで行ける海

だがすでに失っている泳ぐ力

尾びれの擦り切れた魚にとっての無為の日々


なんといっても貧しかった

「互助相愛」という名の金看板

その療養所のしくみ

あらゆる所であらゆる事を担いあっていた

元気な者が弱い者を看る

看られる者は看る者へ

「ありがとう

すみません すみません・・・」

の繰り返し


療養所に火葬場がありコンクリートの厚い壁の監房があった

死んで骨になっても故郷へ戻れない

そんな病気にされた果ての骨たち

納骨堂はその為にあった


長い戦争 お国の役に立たない者たちはひもじく

てもあたりまえ

立ち眩みしそうな毎日・・・

そして敗戦 戦後はさらに激しい飢えが待っていた


それまでにすでに使いつぶした体力

麻痺の手足をさらに擦り減らして食べ物を作る

生き残ろうとして死んでいったいのち


責めはそこから来ているのである

今なお生き残っている私へ

問い続けてくる 何故かについて

明日もまた 私はその責めの中に生きるのである

(1998年)






いのちのうた


さぞ産声を挙げたかったであろうに

中絶 命から切り離された無言

ホルマリン漬けの容器の中に浮いている沈黙

随分永い間置き去りにされていた


私達はあの胎児の為に

叫んだことがあったか

奪われていった命の為に

今は 取り返しのつかない過去という時間

一体何の為に刻を使ってきたのか


乳房はすでに待っていた

だが唇はそれへ届くことも無く

絶たれてしまった無言

並べられていたホルマリン漬けの胎児

産声をあげたかもしれない

それを絶命させた医学

私は見えない目でそれを見る


証拠保全の為の検視

その日の為の立ち合い

四十七、八年以前の重病棟事務主任という役職

貧しい医療と乏しい栄養

当然 死亡者は多かった

死者が死体に変る

棺へ納めた亡骸を解剖室へ運ぶ

鍵を預かっている私

棺を納めるために鍵を開け

・・・鍵をかける

私の役目の終了


私の知っていた解剖室は既に造り変えられ

かつてあんなに出入りしたその場所の想像もつかない変貌


解剖のその死体から取り出された臓器

何百というホルマリン漬けの容器

胎児達の一群もその中に並んでいる


私の知る由もない世界

説明を聞きながら

見えない目の中へ創り上げていく

死者の残していったもの

その者たちへ

無為に流れていった時間

(2000年)





骨たちよ

 
骨たちよ

あなたたちの総数は三千余柱・・・

生き残りの仲間達は三百二十数名

このあいだもその一人が貴方たちの仲間になった

納骨堂の棚へまた一人が・・・


ところで骨の あなたたち

声のない言葉で話し合うことがあるのか

骨堂の中がにぎやかに一晩中・・・

朝まで話し続けることがあるのか

あなたたちの骨になってしまった軽さ

この世へ遺していった重さについて


骨だけになるまでのあなたたち

遺していったその重さを

生き残りの我々が

背負って

それが終末の療養所の暮らし


骨の軽さについては

私には解らない

だが 生きているという重さの底には

あなたたちの重さがズシンと遺されている

夢中になってそれを生甲斐に

書きたいのだ

骨たちよ 教えてくれ

声のない言葉で

真夜中でもいいのだ

話しに来てもらいたいのだ

骨だけの軽さの あなたたち


骨堂でのあなたたちの談笑

その切れ端でもいい

話しに来てくれよ


ところで 私が

あなたたちの弔い合戦などと

国賠訴訟に打って出たのだが

やはり骨堂の中ではお笑い種にされたのではないか

人は時に夢中になるという そのおかしさ

まあいい・・・

ともあれ納骨堂の話題にしてもらえたら それでいいのだ


その答えについては

やがて私があなたたちの仲間入りをした時

ゆっくり話してくれたまえ

(2002年)



(中山秋夫さんの略歴)
1920年11月3日静岡県で生まれる。1934年頃発病、翌年湯ノ沢にいた同病の父のもとへ行くが、すぐに父は亡くなり、1939年光明園に入所。1963年失明。川柳句集「父子獨楽」、「一代樹の四季」、随筆集「鎮魂の花火」、詩集「囲みの中の歳月」、ハンセン病違憲国賠訴訟原告。


2030年 農業の旅→ranking



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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