「人間は結局、与えられた環境を与えられた能力で生きることしかできないんです」(俳優、大沢たかお)
朝日新聞に出ていた週間番組案内の大沢たかおの言葉にふと目が留まった。
サラリーマンでもそうだと思う。たまたま入った企業を運命(天職)と考え、その企業に「しがみついて」、多くの人は定年まで勤めるしかない。
努力によって能力を磨くことはできるだろうが、その世界、その世界で、どうしても真似ができなかったり、少々学んでも身につかないこともある。
長年の間に培われた社交性とか、会話のうまさとか、声かけ能力とか、企画力とか、人をまとめる力とか、うまく取り入る力・・・等。
農業はたいした能力がいるわけではない。しかし、器用、不器用の違いで、農業では大きな差がついてしまう。
つまり、真似ができない(学べない)ことが、農業の世界では多く出てくる。
自分はいまだに草刈機の刃が研げない。最もよく使う農具であるが、集落の大工さんに研いでもらっている。野菜は作られていないので、野菜と物々交換のような形である。
一時期、真剣に「刃の研ぎ方くらいは最低限、身に付けよう」と努力したが、どうしてもうまく研げない。そのうち、あきらめてしまった。
こういうことが自分には多い。
たとえばキュウリとかインゲン等の支柱作物であるが、支柱がうまく作れず、20年間の大半は「地這いキュウリ」や「つるなしインゲン」を作ってきた。
他人の圃場を見学しても、「真似る力」がなければ、何回見学してもたいした意味はない。
努力しても、努力しても、身につかない(学べない)ことも多い。
たまたま農業に転身でき(農業がひらめいた時、田んぼがあり、父という農業の先人もいた。農業では食えないという意識が強かったが、サラリーマンはもう続けたくなかった)、やっと、他人に惑わされずに、独立自営業ができるようになった。
めぐりあうことができた農業という環境の中で、水を得た魚のように楽しくなったが、すぐに農業の世界での能力のなさを感じた。
他の農家の真似をしようと思ったが、とても真似ができそうになかった。だから結局、自分にできる方法でするしかなかった。自分にできる方法では「手取り100万の攻防」でしかなかった。
それでも家人が勤め始めていたので、何とか我が家の生活はまわっていった。
そんな生活を20年ほど続けてきた。ぬるま湯につかった状態だったが、ここ数年「手取り100万の攻防」が次第に遠くなり、こんな農業をしていてはいけないと強く意識させられ、農業形態の変更を今まで以上に考えるようになった。
考えても、他にできるような農業形態が思いつかなかった。能力があったら、とっくに現在の農業形態を変更している。
変えれるかも知れないと意識し始めたは、9月に入ってからである。
(1)Kさんによるスーパー出荷の紹介。
(2)JAの直売所が12月にできるという情報。
(3)近くのホームセンターの直売所が農家募集の広告を出しているのを見た。
(4)家から30分内に、直売所が他に3箇所あった。
つまり、売り先を変えてみようと思いついた。
セット野菜の顧客は開拓するのが難しく、3年以上続けてもらうことも極めて難しい。業務用の顧客は注文が不安定。
能力の限界もあって、農作業のやり方はあまり(ほとんど)変えることはできないが、出荷先を変えることによって、現在より収入がアップするように思えた。
週1回は宅配を残し、直売所主体に切り替えていこうと思う。
野菜を作る能力を変えることは困難だが、売り先で活路を見出すことはできるはずである。
現にシュンギクは、今までは顧客数の関係で少ししか作ることができなかったが、この秋は5倍ほど作り、セット野菜とあまり変わらない価格で、全部売ることができつつある。